サンフランシスコ平和会議
フィリピン代表 ロムロ将軍の演説
1951.9.7



〇カルロス・P・ロムロ将軍(フィリピン国代表)

 議長閣下並びに代表各位、六年前勝誇り且つ希望に充ちていた時、五十ヵ国はここサン・フランシスコに普遍的な平和の設計図を作るために集つたのであります。国際連合がその生れた時代の特徴を具えていることは当然なことでありましよう。それは高尚な努力と抑え得ぬ理想の花を開かせたのであります。
 その会議は、戦争における連合国の最後の勝利は団結によつてのみ得られるという厳しい教訓を得てここに開かれたのでした。その知識の上に、当然のことでありますが、団結によつてのみ国際連合は平和をも克ち得るという希望が築かれたのであります。
 われわれの経験はわれわれの期待の論理に従いませんでした。われわれは幾何もなく、勝利に興奮して、分裂した世界における権力闘争の現実が許す以上の高尚な計画を樹てたことに気づいたのであります。
 過去六年のこの冷静な経験の判断は、必然に世界平和のサン・フランシスコ設計を無効ならしめるものではありません。実際、今日、われわれがここで創られた最初の平和計画の本質的な部分を細部に亘つて完成するため、この国際連合の誕生の地に帰つてきたという事実には一種の必然があるのであります。
 一九四五年、われわれが平和の問題をある程度抽象的に取扱い従つてわれわれの解決が事態を単純化しすぎたという欠陥をもつていたことは恐らく避け得ないところであつたでしよう。今日、われわれはかの偉大な努力の真の出発点に帰つてきたのであります。すなわち平和の抽象的な原則ではなく、平和の具体的な困難な問題の一つを考慮するということであります。
 われわれは前大戦の主要敵国の一と平和条約を締結するためにここに集つているのであります。これはどのような場合、どのような時においても困難な仕事でありましよう。しかし、歴史のこの瞬間に日本との平和条約を締結するということは特に解決困難な問題を伴うものであります。
 フィリピンが対日平和条約に関してここで述べられた楽観的な平和の希望を共に分ち得ないものがあるのはこのためであります。われわれが、犠牲の分担、共通の理想、共同の目的を基礎に、あらゆる良き報告が可能に思われた千九百四十五年のサン・フランシスコの豊かな精神を取戻すことは、希望しても、できないところであります。今日、若干の悲しみなきを得ないのでありますが、われわれはあいまいな平和の普遍化または過度の和解の希望の何れにも惑わされずに、最大の現実主義をもつて日本との平和締結の問題を処理することを迫られているのであります。われわれは条約によつて日本との戦争状態を終結することはできますが、しかし一片の条約は自動的に平和をもたらし、または日本とその隣国との現実の平和関係を創るものではありません。これをもたらすことができるのは、条約の厳粛な条項ではなくして、よき実行のみであります。
 私は、ここで、日本の最も近い隣国の一であり、不釣合に重大な破壊を受け、日本のために損害を受けた国を代表して述べているのであります。千八百万の人口のうち、われわれは百万以上の生命を失いました。生命の損失の他にわが国民は未だに癒されない程深い精神的傷手を蒙りました。四年間に亘る野蛮な占領と侵略者に対する不断の抵抗の後、わが国民経済は完全に破滅し去つたのであります。フィリピンがその地域と人口に比して、アジアで最も大なる惨禍を受けた国であるということは異議を挟む余地のないところであります。
 われわれの受けた損害を新しく誇示するのは私の意図するところではありません。今日に至つては、古傷を暴いても何ら益するところはないのであります。またフィリピン国民は絶望的な時に侵略の矢面に立ち、アジアの自由の防衛に貢献するよう求められたことに後悔を感じているのでもありません。今日只今、彼らが朝鮮における国際連合の行動に応分の負担を分つているという事実から、彼らが日本帝国主義に対する闘争を分担したことを誇りとしており、また、再びそうする用意があることを何人も疑うことはできないのであります。
 古傷を暴いてみせることはわれわれの望むところではありません。しかし、われわれのうち、その傷を感じまた憶えている者は、今、その傷痕をみるにすぎぬ人々に対し、われわれは誰からも憐みを乞うのではない。われわれが欲するのは正義のみである。ということを許されてよいと思います。
 抽象的に正義を語るのは容易です。しかし損害を蒙り、且つ、永遠に日本の隣国たらざるを得ないわれわれのごとき者にとつて、正義は抽象的なものではありません。それはわれわれにとつて生命や死のごとく現実的なものであります。それはわれわれの国家的生存の本質に触れるものであります。
 われわれの要求する正義は寛大な平和か厳格な平和か、復讐の平和か和解の平和かという問題ではありません。これらは意義のある概念かも知れませんが、われわれにとつて遥かに重要なのは、事実上の公正な関係であり、また現実に相互の権利を尊重することであります。
 われわれは、フィリピン国民の日本に対する態度が全然感情によつて動かされていないとは申しません。そのようなことを主張すれば人間とはいえないでありましよう。しかしわれわれはフィリピン政府が最初から、日本に関して客観的な態度を維持しようとして極度の努力をしてきたことを確言するものであります。
 従つて、フィリピン国大統領によつて当初から確立されたわれわれの戦後の対日政策は、次の基本的三目的を目標としていたのであります。第一に、日本が真の政治的経済的改革によつて、再び、フィリピン及び他国の脅威とならないことを確実にすること。第二に、日本がフィリピン及び他国に与えた損害の早急且つ公正な賠償を獲得すること、第三に、適当な時期に、適当な条件の下に、民主的非軍国主義的日本を友好的隣国として迎え、太平洋地域及び全世界の平和を維持し、進歩を助長するために日本の協力を確保すること、であります。
 われわれはこの三政策を率直な世界の判断に供し、公正にみて、これ以上のことをわれわれに期待できるかどうかをお聞きしたいのであります。
 この政策を考慮に入れて、フィリピン国政府は現在の形の日本との平和条約は、若干の点において、公正と必要とに欠けているといわざるを得ないのであります。平和条約の唯一の目的が戦争状態を終結し、戦敗国に再び主権国の仲間入りをさせることであるならば、この条約は完全にその目的に沿うものでありましよう。しかし厖大な人口を擁し、歴史と伝統を有し、工業的、軍事的潜在力をもち、更に戦略的重要性をもつ日本のごとき国家との平和条約は、最大の重要性をもち得る政治的行為であります。
 従つて、フィリピン国は、日本が受け容れることができその主権と両立し得る方法で、日本の政治制度、教育組織の発展に援助を継続し得るような措置が執られることを希望してきたのであります。われわれは日本人の中に成長した民主的制度は決して現象的なものではないと説かれてきました。われわれはこの点を争うことはしないでしよう。それは偉大な軍人政治家ダグラス・マッカーサー将軍の権威をもつて説かれているところだからであります。しかし日本が六年という短期間に、幾世紀も続いた侵略的、封建的、軍国主義的警察国家から。実行的な徹底した民主主義に完全且つ永久的に移り変つたと信ずることは、確かに人間の信じ得る限度を超えるものであります。われわれを構成する余りにも人間的なものは、総じて、そのような奇蹟的な変換を受けつけるものではないのであります。
 そのような移り変りは、実際、一国においては奇蹟によつてではなく再教育の遅々とした過程を経てのみ達成され得るのであります。日本の真の民主化の基礎は、日本の児童が人権の尊重と人間の権威と価値に対する信念とを学び得るごとき教育組織であります。しかし、これらの民主的諸原則は容易に得られるものではなく、われわれの希望は、すでに昔日の権力主義的な型にはまつてしまつている日本の成人人口ではなくして、より一居順応性のある日本の青年、民主的生活を真剣に信奉し、忠実に護るため、われわれが窮極的に頼らなければならない世代に置かれねばなりません。
 すでに述べた措置は本条約に規定されておりませんが、われわれは日本がその民主的制度の健全な成長を確保するため、益々多くなる自由世界との接触を利用することを望むものであります。
 本条約は日本の再軍備に明白な制限を設けておりませんが、この種の条約としてはこれが唯一のものと思われます。そして日本のごとく長い軍事的伝統をもち、現憲法の下に軍隊を保持する権利を放棄した国家が、今、自国の安全と防衛の手段を講ずることを強いられているのは、確かに現代史の一大皮肉であります。日本憲法の発布から本条約調印までの五年間に、アジアの勢力関係に極めて大きな変動が生じ、日本は今や共産主義的侵略の脅威に備えて武装しなければならなくなつたのであります。
 現在のような状態にあるのでなければ、フィリピンは日本が、自国の軍隊を編成する無制限な権利をもつことを全く耐え得られないことと考えたでありましよう。本条約が、フィリピンもその一員となるような集団安全保障取極に日本が参加することを考えており、また、フィリピン国大統領は、日本は結局はそのような機構に統合されるべきであるという見解をはつきりと述べているので、われわれは、そうでなければフィリピンの国内に生じたであろうと思われる危惧が鎮められたことを満足に感じています。それ故、われわれはこの考慮に基き、また最近米国とフィリピン国との間に締結された相互防衛条約を頼みに、本条約の安全保障条項を受諾することができるのであります。この米比条約は武力による攻撃に対し、それが新たな方面よりおころうとも、または日本の侵略の再現より生じようともこれに対して共同の行動をとると規定しているのであります。
 フィリピン国政府は本条約第十四条(a)1項の賠償条項には不満であります。われわれは、本条約の特質は非懲罰的な条約である点にあるという主張は、主として同情的な賠償条項に由来していることを承知しております。しかし、もしこれが懲罰的条約でないということが真実であるならば、何故日本は第二条及び第三条によつて豊饒な台湾を含む全海外領土を奪われるのかを質問しなければなりません。台湾を日本に返還すれば、それは窮極において重い賠償が及ぼす経済的影響を相殺して余りがあるでありましよう。更に第十四条(a)2項は連合国が、日本の在外財産を「戦利品」として没収することを認めています。本条約で認められているこの領土の割譲と在外財産の没収に関して、重要な事実は、受益国は殆どすべて大国であるということであります。他方、日本によつて破壊され占領された小国がその損害を補償され得る唯一の方式たる賠償の支払は、本条約によつて厳格に制限されているのであります。
 従つて、要するに、本条約は小国の要求に関しては事実、寛容の条約であるが、大国の要求に関しては明かに懲罰の条約であると言つてよいでありましよう。
 フィリピン国政府は当然の賠償額を日本から支払わせることが懲罰行為であるとする理論を受け容れることはできません。故意に生ぜしめた損害は補償すべきであるという原則は個人間において放棄され得ないと同様、国家間においても放棄され得ないものであります。
 われわれは日本から懲罰的な賠償金を取立てることを固執するのではありません。われわれは日本によつて実際に蒙つた損害の支払を固執するのでさえありません。われわれは、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本の資源は、このようなすべての損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い、かつ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないという声明を容認します。更に、われわれは、賠償の取極は「他の連合国に追加負担を課することを避けなければならない。また、原材料からの製造が必要とされる場合には、外国為替上の負担を日本国に課さないために、原材料は、当該連合国が供給しなければならない」という原則を承認するものであります。
 しかし、第十四条(a)項に認められた賠償の権利を、賠償の支払いは、連合国のためにする、要求国の供給する原材料の加工、沈船引揚げその他の作業における日本人の役務に限定するように解釈することは、われわれの受け容れ得ないところであります。賠償の権利をこのように制限することは「日本国の資源は……完全な賠償を行うには現在充分でない」という声明――即ち、現在の日本の資源は部分的賠償しか許さないが、この資源は将来、完全なまたは可能な限り完全に近い賠償の支払いを可能にする程度に迄増大する可能性があることを明白に意味している主張を、全く無意味なものとしてしまうでありましよう。
 われわれは言葉の問題で無用な細い、議論をしているのではありません。日本の現実の、また潜在的な賠償支払能力を数字的に規定するという問題は論議の存するところでありましよう。しかし、日本経済は著しい速度で、日本の今日の国富は戦前水準をそれ程下回つていないという推定を正当とする程の速度で改善されているということは殆ど議論の余地がないところであります。
 日本の国民所得は占領開始以来絶えず増加してきました。千九百四十一年の日本の国民所得は現在の一弗三六〇円の交換比率で十億五千万弗でありました。千九百四十七年には略々二十八億五千万弗、千九百四十八年には二倍以上になつて六十億弗に達し、千九百四十九年には八十億弗に増加、更に千九百五十年には大凡百五億弗と推定されていました。人口八千三百万として、日本は千九百五十年には約一二五弗の一人当り国民所得があつたこととなり、これはフィリピンはじめアジアのいかなる国よりも高いのであります。
 日本の戦前水準への工業的回復は千九百四十九年十二月に達成されました。今日工業活動の水準は千九百三十二年――千九百三十六年平均の三二パーセント高で、これは日本が千九百五十三年迄は到達できないと考えられていた水準であります。日本の急速な工業的回復は主として日本の工業労働者の技術的高能率と、日本においてのみならず、かつて主要消費物資の供給の大部分を日本に依存していた諸国における戦後の欠乏から生じた日本の生産物に対する大きな需要とによるものであります。朝鮮の戦争は更に日本の工業活動の速度を早めました。米国が朝鮮の戦争のために行う日本からの買付は大凡年間十億弗に達すると推定されています。
 占領の最初の四年間、日本の財政は不健全で、そのために二十億弗のECA援助のみでなく、千九百五十二年に日本を自立させるという目的で年額一億五千万弗の原材料の補助を四年間に亘り必要としたことは事実であります。しかしこの援助は、千九百四十六年以来年額十億弗と推定される占領陸軍の現地買付と相俟つて、千九百四十九――千九百五十会計年度以降日本を事実上自立せしめたのでありまして、同会計年度に日本の予算は千九百三十年以来はじめて均衡を得たのであります。
 日本の急速な経済的回復はまた、政府財政の剰余にも反映しております。過去においては常に赤字であつたのに反し、千九百五十一年――千九百五十二年の現会計年度は、五千八百七十億円の歳出に対し、六千五百五十億円の歳入が推定され、六百八十億円すなわち一億八千八百万弗の剰余を示しています。この源泉からひき出し得る総額は、同国の最大課税能力と政府の最小要求との差額でありましよう。
 日本の国民所得の増加は、国民所得のうち資本形成のために留保する割合を増大することを可能ならしめました。千九百四十八年日本政府は最高司令官の許可を得て、経済自立計画を策定しましたが、これは日本人に千九百五十三年に、戦前の日本における国民生活の最高水準であつた千九百三十年――千九百三十四年平均の九十パーセントに等しい生活水準を与えるものでありました。この計画において、日本は四兆一千六百四十億円の国民所得と、国民所得の約二十八パーセントに当る一兆一千七百億円の資本形成とを有することになつていました。アジアでは日本が高度に発達した唯一の国であり、戦前においてさえ、そう云えたのでありますが、右にあげた資本形成は高度に発達した国家における資本形成の平均水準を遥かに上回るものであります。
 千九百五十年に日本は一億二千七百三十一万三千弗に上る出超を示しました。この出超は一に、一部分工業の再建と朝鮮戦争から生じた輸出貿易の拡大に基くものであります。日本の支払は千九百四十九年まで支払超過を示していました。しかし、昨年日本はその外国為替面で著しい改善を示したのであります。
 これらは日本の現実の、また潜在的な賠償支払能力に関係ある日本の経済的地位について利用し得る適切な数字の一部であります。この他にわれわれの知らない数字があるかも知れませんが、もしあればわれわれはそれを聞きたいと思います。同時に、われわれは統計を解釈する方法は一つだけでないことを認めるに吝かでありません。しかしわれわれが立論しようとしているのは、これは慎重かつ全面的な調査に値する問題であるということでありまして、われわれはその調査の結果を最終的なものとして尊重することを前以て誓約する次第であります。この調査を行うことこそ公正なことであります。何故なら、われわれは日本の賠償支払はいつでも、第一に存立可能な経済の維持、第二に他の債務の履行、第三に他の連合国に追加負担を課することを避けること、第四に外国為替上の負担を日本に課することを避けることを条件とするという原則を受諾しているからであります。
 われわれは、この特別な四条件を受諾したフィリピンの如き要求国は少くとも第十四条(a)1項に規定された以外の方式による賠償支払について、日本と自由に交渉する資格があると考えるものであります。色々な事実が分らない前に、問題を全部打ち切り、賠償支払を受けるわれわれの権利を生産、沈船引揚げ及びその他の作業における役務に限定することに予め同意するようわれわれに要求することが合理的であり得るでありましようか。
 更に日本を除くアジアの経済に対する日本工業の戦前の優越性を想起するならば、経済的に日本に従属するようになることに対するわれわれの恐れは簡単に却けられるべきものではありません。しかしながら、賠償を役務という方式に制限することは、まさに要求国を日本の工業機械に対する単なる原材料供給者として、従属的な地位に引き戻すという結果をもたらすことになるでありましよう。
 われわれは特に米国政府が禁止的賠償という問題に感じている深い憂慮を理解しているものでありまして、このような賠償を要求することはわれわれの目的でないことを申し述べたいのであります。われわれはまた米国政府が本問題に関するフィリピン国政府の見解に対して示し、改正条約文にある程度迄反映された考慮を多とするものであります。しかしながら、もし第十四条(a)1項が、日本とフィリピン二国間の交渉に委ねらるべき賠償方式に関する融通性のない制限を意味するものと解せらるべきであるならば、私はフィリピン国政府は次の留保をなすものであると宣言せざるを得ないのであります。
 フィリピン国政府が、日本国政府より支払を受くべき賠償の種類及び方式に関し、並びにその支払又は引渡しの態様に関し、日本国政府と交渉し、相互に協定するフィリピン共和国政府の権利は、本条約の反対の規定にかかわらず、ここに留保される。
 われわれは長い間日本との平和条約を待望してきました。三年間に亘り、フィリピンは、ワシントン市の極東委員会の内外において、平和条約の早期締結を繰り返し主張してきました。米国政府は、米国政府で、できるだけ早く占領の負担から解放されることを望んで、極東委員会の全構成国が出席する平和会議を開催しようと幾度か努力しました。しかしソ連は平和会議を四大国、すなわち中国、連合王国、米国及び自国(明かに対日戦に一週間参加したことを理由に)に限定しようとし、インドネシアやフィリピンの如く、四年間に亘つて侵略者に抵抗し、その結果甚大な損害を受けた国々を除外しようとしたのであります。米国とソ連の相容れない見解のために、日本との平和条約の条項を討議する会議を招集する可能性は全くないようにみえたのであります。
 予め条約について折衝することが唯一の残された途でありました。今日、われわれの前にあるところのものは、こうして作られた条約なのであります。
 このように外交史上先例のない方法で折衝された条約が批判の対象となるべきことは避け得ないところであります。何故ならば、いかなる条約も、とりわけ平和条約は参加国すべてを平等に満足させることは恐らくできないという事実に加えて、本条約の場合にあつては、その起草に現実に参加したという満足感に欠けているからであります。
 日本の将来に比して遥かに論争点の少なかつた一九四六年のパリ平和会議を記憶している人で、あの精力を消尽する外交戦がここで繰り返されるのを希望する者は恐らくあり得ないでありましよう。それ故われわれはこの条約の完成を一層高く評価するのであります。またわれわれは国務長官アチソン閣下の主導性と忍耐を尊敬し、本条約の主要起草者たるジョン・フォスター・ダレス氏の識見に敬意を払うものであります。もしわれわれがダレス氏と意見を異にするところがあるとすれば、それは、折衝家政治家としての氏の偉大な手腕を以てしても、強固かつ不可避的な国家的利益の要求を克服し得なかつたような問題についてであります。われわれはわれわれがその義務を粘り強く固執したことに対し、氏の尊敬を克ち得たと信じているのでありますが、それと同じく、われわれは命ぜられた義務を守り抜いた氏の不屈の精神に尊敬を払うものであります。
 われわれは本条約がフィリピン政府にとつて完全には受諾し得ないものであることを繰り返して申し述べるものであります。しかしながら、伝統的な交渉方法によつて一般的に受諾し得る条約を作成することの困難が明らかになつたわけでありますから、この協定を妨害したり又はアジアの平和と安全保障に直接に関係する主要な政治解決の成果を害したりすることはしないつもりであります。
 起草国政府の援助を得て、また、日本の総理大臣は日本陸軍がフィリピンで与えた損害を償うことを日本人は望んでいるとわれわれに保障したのでありますが、この日本政府の協力を得て、合理的な履行手段を、特に私の引用した留保の線に沿つて、つくすことにより本条約の欠陥を補い、その条項を衡平と正義の要求によりよく従わせることが可能となることをわれわれは希望するものであります。
 この条約は、フィリピンが最大の関心をもつている目的――すなわちアジア及び極東情勢の安定に役立つべきものであります。それはこの条約によつて、活動的で勤勉であり、誇るべき歴史をもち、アジア及び世界の大国である八千五百万の人口をもつ国家が、自由、独立の国家の列に復帰することになるからであります。われわれフィリピン人は最近の惨禍の記憶によつて、事態を一種の危惧の念を以て見ざるを得なくなつているのではありますが、私はアジアの一市民として満足でないとはいえない感情を以て、この成行に期待を寄せていると申し上げねばならないのであります。
 日本は、意識的であつたかどうかは分りませんが何れにせよ、自国の征服と侵略の破滅的な冒険によつて惹起された革命的な動乱の後に、アジアの懐に帰つてきたのであります。アジアは自由――植民地的支配と搾取からの自由――を目指して進んでおります。アジアはまた全体主義的侵略の脅威に対する集団的安全保障組織を求めて動いているのであります。
 日本はかつて、自国の見地から、二つの目的を内包した夢をもつていました。それは、日本の帝国主義的支配と統制の下に統一され、日本の工業の要求に従い、ある意味では日本の広大な軍事力の庇護の下に置かれたアジアでありました。この夢はアジア人の自由への意思と、いかなる専断的独裁にも反対して結集した自由世界の力とによつて粉砕されたのであります。
 もし日本が本条約によつて与えられた機会を利用して、アジアのために作られた自由の道を進み、また隣国の犠牲によつて自国の拡張を図ろうとするすべての意図を抛擲して、アジア及び世界が果すべき重要な任務を分担するならば、本条約にかけられた希望、そのうちの若干についてわれわれは強い疑問を提起したのでありますが、この希望は充分に実現されるでありましよう。
 最後に、私は日本国民に向つて、フィリピン国民を代表して、次の言葉を申し述べたいのであります。
 あなた方はわれわれに甚大な損害を与えました。いかなる言葉もまた金銀財宝もこれを償うことはできません。しかし運命はわれわれが隣人として共に生きるべく定めており、隣人としてわれわれは平和に生きなければならないのであります。アジアには四海同胞という言葉があります。しかし兄弟愛は心の問題であり、それが花開くには、先ず心が清められ純粋にならなければなりません。われわれは、憎しみの鉾はわれわれの間では永遠に収められるよう熱望しているのでありますが、しかしその前に、われわれが寛容と兄弟愛の手を差し延べる前に、われわれはあなた方の精神的な悔悟と更生の明白なあかしを待ちたいのであります。


昭和二十六年九月 外務省作成 サン・フランシスコ会議議事録 より(P234-245)
(原典は縦書き。旧字体の漢字は新字体に置き換えてあります。)

2018.10.18 登載



 サンフランシスコ平和会議 【セイロン代表 ジャエワルデーネ氏の演説】 【インドネシア代表 アーマド・スバルジョ氏の演説】
 サンフランシスコ平和会議での米大統領、米・英・ソ・埃・日各全権演説(資料沖縄問題/岡倉古志郎外編/労働旬報社 1969//旬報社デジタルライブラリー) <http://www.junposha.com/library/pdf/60008_12.pdf>

 【第二次世界大戦等の戦争犠牲者数】 【参考資料集】
サンフランシスコ平和会議でのフィリピン代表 ロムロ将軍の演説 1951.9.7 アクセスカウンター T7R