ひとりごとのつまったかみぶくろ

社会福祉サービスの提供と自己決定の尊重



 「目の前に寝たきりになってしまった老人がいる。その老人は寝たきりに慣れてしまって寝たきりであることを苦痛と思っていない。起き上がりたいとも思っていない。…この人に対して痛い思いをさせて起こし、車椅子に乗せて歩き回ったり、嫌いになってしまった入浴を勧めることは妥当か。」「心の病を患い、十数年もの間部屋に閉じこもってしまっている人がいる。人と接したいという気持ちは既に失せ、家から出るのは不安で下手をすると症状の再発という危険もある。…そんな人を共同作業所やデイケアに誘うことは妥当か。」

 ――さて、このようなケースに出会った場合、あなたであればどのような答えを示されるでしょうか。

 現在の社会福祉サービスの多くが申請主義の原則に基づいていることから、本人が欲しない以上は手を出すべきではない、という考え方があります。本人が寝たきりであることを、また家に閉じこもっていることを自分で選択しているわけだから自己決定を尊重する立場からそれを認めてあげるべきである、という考え方があります。

 実は、私は、このような考え方には賛同できません。私は、本人がたとえ嫌がっても、拒否をしても、その拒否は間違いであることを説き、起き上がる説得、家から出る説得を続けるべきだと思っています。そうすると、その人の自己決定、本人の意思はどうなるのか、とあなたは問われるかもしれません。そこでここではこのことについて私の考え方を記してみることにします。

 ちょっと乱暴ですが、分かり易くするためにこんな形で説明してみようと思います。社会福祉の実施機関をレストランに見立て、各種サービスをそこで揃えられている各々のメニューとしてみましょう。ある空腹に陥ってしまった人がいるとします。普通の人であれば自分で食事を作りそれを食べることできます。しかしその人は自分で食事を作ることが難しいのでレストランを利用することを勧めるのが妥当と考えます。レストランに来さえすれば、その人の問題としての空腹を満たす適切なメニューが与えられて問題を解決することができます。これが援助ということでしょう。また、このようなレストランを空腹者の存在を前提に整備し、空腹者のニードに基づいた各種メニューを揃えることが国の責任といえるでしょう。

 さて、仮に、その人が、「私は空腹であることに慣れました。何も食べたいとは思いません。そっとしておいてください。」と主張された場合、この人に対して援助すべきでしょうか。社会福祉の制度の中で、空腹者のためのサービス機関としてのレストランが設置されており、そこの職員がそんな人々のために、各種メニューの存在を広報すること、またそれらの提供を勧めることは、当然行うべきことだと思います。しかしながら、それを勧める場面において、今日では「当事者の自己決定の尊重」という態度が求められています。では、ここでいう「自己決定の尊重」は何を示しているかというと、それは、私たちがややもすると犯し易い、つまり「あなたは空腹ですね。ではこのランチを食べてください。」のような、単一で画一的な対応に対する戒めから示された援助者に対するガイドラインであるわけです。それは、例えば、「あなたはランチを勧められましたが、一品料理にしていただけませんか。」とか、「私にとっては、確かに自分で食事を作ることは難しいです。でもレストランを利用することなく、困難は伴うでしょうが自分で食事を作らせてください。」のような当事者の生き方の選択を尊重することであるわけです。しかし、この中には、「空腹のままにしておいてください。」という人の生存維持に要する基本的活動の停止の希望という選択肢は想定されていないと解するべきです。

 空腹(寝たきり、閉じこもり、という言葉に戻しましょう)は、誰かに迷惑をかけるというような行為ではありません。だのに、赤の他人である私たちがお節介をする正当性はどこにあるでしょうか。

 教育や児童福祉の分野に籍を置いたことのある人であればすぐ気が付かれると思いますが、もし学校に行っていない児童を発見したら、また家出をしている児童を発見したら、私たちはその子たちに「不登校児」とか「ぐ犯少年」というようなレッテルをはって、措置など、公権力を用いて対応するわけです。彼らは特に他人に迷惑をかけているわけではありません。犯罪を犯しているわけではありません。それでも、社会に住む人間としてはあるべきではない状態であるとして、「非社会的行為」のような名辞をもって公権力の介入を認めているのです。これと同じような考え方が、寝たきり者、閉じこもり者に対しても適用することができるのではないでしょうか。寝たきりは、閉じこもりは、人間としてあるべきではない状態――だから公権力の介入をもってしてでもその状態の改善に努めなければならない――そんな思想の確立が重要と考えます。ただ、今は、このような状態に対して、社会的評価、価値を示す言葉がないので一般社会に対する説得は難しいのですが、それでも、あえて造語をすれば、「捨人間的行為」などと名辞できるのではないでしょうか。

 今日、ゴールドプランに基づいて、「寝たきり老人ゼロ作戦」という取り組みがなされていますが、現在70万人はいるであろう寝たきり老人の中には、「寝たきり希望」という人も多々みえることでしょう。そんな希望を持っている人々の主張を無視して、寝たきりをゼロにしてしまうわけですから、「寝たきりは悪だ」という社会的価値観を前提にしなければこの論理は成り立たないわけです。(もっとも政府の意図は予防に関心があって、今後寝たきり者を増やさないために、という発想のようです。既に寝たきりになってしまっている人々に対するアプローチは、実際は貧弱としか言いようがありませんが。)

 以上、このようにまとめてみましたが、自分自身迷いながら書いたところもありますので、批判、非難の余地は沢山あると思います。皆さんからのご意見を期待しています。

  1992.7.15



 [ 1996.12.20 登載] 
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