ひとりごとのつまったかみぶくろ

慢性精神分裂病者のリハビリテーションに向けて




 はじめに
 1.慢性精神分裂病者の理解のために
    精神分裂病について
    慢性精神分裂病者の障害
    慢性精神分裂病者が現在置かれている状況
 2.慢性精神分裂病者の地域における生活創造をめぐって
    院内ケアから地域ケアへ
    地域ケアにおける治療機能をめぐって
    デイ・ケアの機能について
    障害者共存の文化の創造のために
    慢性精神分裂病者の就労をめぐって


は じ め に

 この文章は、精神障害者に係わる諸問題の、私の現時点における認識・見解に関するレポートであり、私自身の社会的実践を構築するため及び検証するための仮説提示であり、主張である。

 今回は、筋立てについて十分検討しないままに書き出したため、一つの文章にもかかわらず、テーマを盛り込み過ぎた感がある。そのために締まりのない文章になった感じもするが、今回については自分自身の認識を深める作業も併せてしたかったので、あえて思い浮かぶところはできるだけ削らずに書くことにした。この点容赦願いたい。

 ここで論を展開するにあたって、私は慢性精神分裂病者という語を用いたが、このテーマに係わる問題について表題を設けるならば、本来なら「精神障害者の…」と記すべきであったかも知れないが、今回、あえてこの語を選んだのは次の理由による。

 すなわち、精神障害者の問題という言葉を聞くと、精神科医療に係わりのない者としては(自分もかつてはそうであったが)、新聞などがよく取り上げているように、精神障害者が傷害事件を起こした、とか、覚醒剤などの薬物が精神障害を引き起こす、とか、保安処分云々、とか、とかく精神障害者と名の付く人々が社会に対して与える悪影響の可能性を中心として問題が設定されたというイメージが強い。

 私が精神科医療に関心を持ち、それから精神障害者の問題に係わる文章をいろいろ目にしたが、そこでの視点は、先のイメージとは少なからず異なっている。現在の精神科医療の関係者が躍起になって取り組んでいる精神障害者の問題というのは、現状では長期入院を余儀なくされている慢性の精神障害者の退院促進と地域での生活の保障と援助に関することである。そして、その対象となる人々の十中八九が慢性精神分裂病者であり、慢性精神分裂病者の問題といっても過言ではないからである。

 また、リハビリテーションという言葉は、この文章の筋からみたら「社会復帰」という言葉を用いた方が分かりやすかったかも知れないが、精神科医療の分野においては、リハビリテーションの語は、かなり以前から多分に社会復帰の語と同義に使われている し、1981年の国際障害者年の前後のころから、医療、社会福祉の分野では、例えば上田敏氏が論じているように、リハビリテーションを「障害者の全人格的権利の回復」という概念で展開する傾向にある1)。このような状況でもあることから、「人間らしく生きる権利の回復のために何をすべきか、私は何ができるか」というニュアンスを付け加えたかったからである。


1.慢性精神分裂病者の理解のために

 <精神分裂病について>

 種々ある精神症状を呈する内因性(または反応性)の精神病のうち、予後の悪いものを精神分裂病という。19世紀末にクレペリンが精神病を早発性痴呆(精神分裂病)と躁鬱病に二大別したのは、症状の違いというよりは、この予後の差異からであった。

 精神分裂病は10代後半から20代前半の青年期に好発し、種々の経過様式をとるにせよ、最終転帰は特有の欠陥ないし人格荒廃に陥るのが特徴とされてきた。言い換えると不可逆性、進行性の身体病理的過程を想定し、過程−欠陥もしくは過程−荒廃の図式が長らく信じられていた。この根底には、症状が一時的に寛解、または進行が一過性に頓挫することはあっても、やがて再燃、再発または病勢悪化し、この病気は予後不良、不治とする宿命的な疾病観があった2)。

 しかし、1950年代後半以降開発された向精神薬により、これの継続的な投与によって、症状を一応抑えることができるようになり、再発までの期間を延ばすこともできるようになった(向精神薬を使用しない場合には、偽薬あるいは様々な社会療法を行っても2年間の累積再発率は80パーセントに及ぶが、向精神薬を使用するとそれが30から40パーセントにまで抑えることができるようになった)。しかし、症状が消えたからといっても発病以前の人格にまで回復させることは現代の医学ではまだできない。

 にもかかわらず、例えばM.ブロイラーの調査によれば、精神分裂病と診断された患者の予後調査で、30パーセントほどの人は治癒したという結論が導かれている。しかしこれについては、その人たちは結果として精神分裂病でなかったのであろう、つまり診断の誤りであったのであろう(非定型精神病であったのであろう)と知り合いのある医師は解説している。この病気はその時の症状だけでは診断するのが難しい、結果として精神分裂病だったということもある、極めて医者泣かせの病気だ、とある医師は言っている。

 現在はこの病気を、進行病というよりは再発病というイメージで見ている。現代の医学の手を借りれば、妄想、幻覚、運動興奮といった精神症状は比較的早く消すことができるようになった。しかしこれが消えたからといって、手をこまねいていると、つまり毎日の投薬を怠ると、すぐに再発に見舞われる。再発の度に人格への悪影響が大きくなる。だから一旦この病気に罹るとまず一生の投薬継続が不可欠となる。

 精神分裂病の経過に関する文献などを見ると、急性期、安定期、寛解期、または慢性期、それから急性症状、慢性症状、陽性症状、陰性症状、そして残遺状態など、極めて多彩な語句を目にすることができる。イメージを明確にするため、一応次の語句を用いて整理することにする。妄想、幻覚、運動興奮などの、いわゆる普通の人が持っていない動作、様態を陽性症状、それに対して、普通の人にはあるが、それが失われている状態、例えば行動が鈍麻であったり、自発性を欠いて全く受動的な無為である状態を陰性症状、更にこの症状に行動上のぎこちなさを併せ持って普通の生活を行うのが困難である場合、残遺状態であると言うことにする。そして陽性症状が発現した時を発病、再度発現した時を再発、それを呈している期間を急性期と言うことにする。そして陰性症状があり、残遺状態を続けている期間を慢性期と言うことにする。

 現代の医学は、向精神薬の投薬によって、陽性症状は抑えることができるようになった。しかし陰性症状を抑え、残遺状態を軽減させる薬はまだ開発されていないようである。だから今はかつてのような重篤な荒廃にまで至ってしまう例はほとんどないが、ある程度の稼働力はあるが、軽度の陰性症状、時に幻覚などの陽性症状を呈し、服薬を続け、周囲の支えによって何とか毎日の生活を維持している、いわば半治りという状態の人々が、今日の平均的な精神分裂病者像であろう2)。今日拡大しつつある作業療法、生活療法というのは、日々の訓練によってその残遺状態の軽減を試みるものである。

 さて、以上述べたことが現在の精神科医療界における一般的な見解かというと、そうではないようである。この病気の原因や本質はまだよく分かっていないし、仮説がいくつか提示されている段階である。ここで記した内容は、どちらかというと「故障した脳」「脳病」という見解によるものといえるが、他に「心の病」「人格の病気」と、全く反応性の病気とみる見方もあるし、また反精神医学を主張する人々は、精神分裂病という病気など元々なく、この病者を「スケープゴート」とされた人たちだと位置付けている。


 <慢性精神分裂病者の障害>

 慢性精神分裂病者が一般的に長い期間にわたって呈するいわゆる残遺状態や人格に現れる異常に対して、障害の概念、またそれを呈している人に対して障害者の概念を当てはめるということが、ここ数年一般化しつつある。

  20年30年前にこれを言ったら、それは医療の敗北と取られる向きもあって、この考え方は受け入れられなかったであろう。

 今日では、この考え方を認めた方が、慢性精神分裂病者のリハビリテーションを進める上でより有効だという判断に傾いてきている3)。そんな意味からか、公刊された論文などでは、それを前提とした論述が多いが、現場からの生の声を聞く限りは、まだこれが一般的な考えだということはできない。しかし、近い将来、慢性精神分裂病者は障害者という基調が(抜本的な医学の進歩がない限り)、訪れるであろう。

 だから今回のこの文章の展開も、障害者としての慢性分裂病者という考え方を念頭に構えて、その状態像の特徴、現在彼らが置かれている状況、また、そんな彼らに社会はどのような対応策を考えているか、そして今後何を整備しなければならないか、など、それぞれを把握することによって何が見えてくるかを検討してみようと思う。

 慢性精神分裂病者の特徴を、公刊の解説書4)や私が係わったそのような人々を目にして感じたことを基にして述べてみようと思う。以下の事項が全ての慢性精神分裂病者に当てはまるということではなく、人によって軽重、タイプがあり、一概に論ずることはできないが、ある程度このような一般的傾向があるとして記してみた。

 1)「情意鈍麻」
  陰性症状と言えば、普通はこれを指すようであるが、この状態像が病気そのものの症状なのか、廃用症候群として呈したものなのか、または他の機能障害の結果生み出されたものなのかは、まだ分かっていないようである。感情面における疎通性の減退、意欲面における自発性減退を中心とする状態像をいう。精神分裂病者であれば、その症状が強かれ弱かれ、まず見られる状態像である。無気力で姿態はだらしなく弛緩し、無為となる。対人的接触は悪く、自閉的、孤独、表面的となる。思路障害が見られるものもある。

 2)対人関係が不得手である
 ちょっとしたことばで傷付き易い。冗談が冗談として通じない。同じことを何度も繰り返し聞いたりする。気配りが下手である。これらのためかスムーズな人間関係の維持が困難である。

 3)物事に心を集中させることが苦手である
 集中しようとすると緊張が強くなる。何をするにも絶えず気を張り詰めていなければならず、ゆとりがない。そのためにすぐ疲れてしまい、長時間の作業(遊びも)ができない。会話をした場合、話の内容の理解度も普通の人と比べて落ちるようである。

 4)やるべきことはやってしまわないと不安である
 今自分が行うべきことがあると、それを終了させてしまわないと不安である。例えば、食事が出ると、まずそれを食べてしまわないと次の行動に移れない。食事しながら雑談するということが苦手である。また、バスに乗っても、自分の下車する停留所が次になると真っ先に下車ボタンを押し、止まるまで状況を注視している。

 5)物事を行う上で、順序立った行動をすることが難しい
 例えば料理をするにしても、まず材料・道具を準備する、次に洗う、次に煮る、そして盛り付ける、ということが順序だてて行うことが難しい。一つの行為が終了したら行動が止まってしまい、指示を待っている。状況を説明して考えさせても見当が付かない。また言われたとおりにしかできない。普通の人であれば配慮するところの、自分に合った方法でやってみるとか、手加減するとか、つまり工夫ができない。だから一つの手順を覚え込んでしまうまで、手取り足取り、何度も繰り返して教え込む必要がある。

 6)新しい場面や問題に対して、強い不安と緊張を生じる
 せっかく一つの作業ができるようになっても、以前と少し状況が変わったり、何かトラブルがあると、焦ってしまい、行動が止まってしまうこともある。その時何をやったらよいか見えず、不安になってしまうのであろう。そのためか一度覚えた方法に固執し、融通が利かないようにも見える。また新しい事に対しては臆病で、なかなか手を出さない。

 7)時には思いもよらない行動に出ることがある
 普段は全く無動の人なのに、例えばいざスポーツをさせると顔付きががらりと変わり抜群の動きを示すというような人がいる。その人は発病前きっとスポーツマンで、その時身に付けた技能が発病後の今でも現れるのであろう。

 8)知的には障害はないようである
 発病前の知識が消失されているということはないようである。自発的に自分の知識を活用しようとしないので、周りの人は知恵遅れのような印象を持ってしまうことがあるが、一定の場を設定してそれを引き出そうとすると、かなり高度の専門知識が出てきて驚くことがある。

 このような状態では、一人で街を歩くということはおぼつかなく、遊ぶこともできない。これらは、ともすれば、その人は怠け者だ、と誤解されることがあり、また社会から孤立し、家の中に閉じこもるような生活に陥る原因にもなる。

 以上のような特徴があるといえるであろう。これらのうちどれが障害となるのか、と問われた場合、多くの人がいろいろな観点からの指標を示しているが、例えば上田氏が示した障害理論、またはWH0の国際障害分類案からいえば、病気によって生じた機能障害があり、それによる症状がある者が日常生活をする上での能力障害として現れ、更に社会の中での不利として現れたものを障害として位置付けることができるであろう。

 慢性精神分裂病者のこれらの障害に対して、三浦康文氏は「生活障害」と名付け、臺弘氏は「生活のしづらさ」という基準を設けている。更に臺氏は、これらは脳内の情報処理過程のうち異同の判別を明らかにする機能の障害とする「照合障害」によって生ずる、という仮説を提唱しているし、村田信男氏はこれを受けて「手順を身に付けるプロセスの障害」という観点を示している。すなわち、手順を「認識、判断、照合の過程であり、精神的諸能力と身体的諸機能の結合であり、(生活することその他諸々の行動によって、日々新たに得る経験、知識、知恵、方法などを今後活用されるものとして)身に付ける学習過程である」と定義付けして、このプロセスのどこかに障害があることによって、ADLや対人関係を含む「生活障害」や、作業能率の悪さ、疲れ易さなど「仕事上の障害」としても生じる、すなわち、「新しいことを身に付ける」ことが困難で、言われたことはやるが先を読んで「次の手を手際良くやる」ことができにくい、と解している5)。

 以上のような認識から、自分なりに精神分裂病者のイメージを描いてみた(図1)。これは裏付けのない私的な仮説であり、時とともに修正されていくものと思うが、このようなイメージを持っていた方が、自分自身のアクションの構築、検証の上で有用であると判断したのであえて描いてみた。


 <慢性精神分裂病者が現在置かれている状況>

 日本では全人口の0.7から0.9パーセントが精神分裂病に罹患していると言われる。このうちこの病名で入院しているのは全国で21万人強(精神病床の入院患者総数ということでは約34万人)、そして外来受療中のものを含めると44万人以上となる(1982年)6)。この数字は全国の社会福祉施設に措置されている人の数と比べても、いかに多い数であるかが分かるであろう(例えば精神薄弱者更生施設の在籍者数は約4万9千人、また保育所在籍者数を除く全社会福祉施設在籍者総数《収容及び通所》が46万人弱である:1985年10月現在7))。

 それではその人たちがどのくらいの期間入院しているかということについては、例えば解説書には全国平均で532.6日(1986年)のデータが記してあるが、これは当てにならない。というのは、これは全精神病床による計算であり、精神分裂病者以外の病気の人による影響が極めて大きいわけであり、またこの数字を出した計算式は、

その年の延べ入院患者数
――――――――――――――――――――――――
(その年の新入院患者数+その年の退院患者数)÷2

であり、年を何度も繰り越しているような長期の入院患者の実態は反映されないのである。

 ましてや精神分裂病患者に限っての全国データなど公表されていないので、入手したある精神病院のデータで見てみることにする。

 その病院の1986年末における入院者総数は374人であった。このうち精神分裂病と診断された者の入院者数は287人(76.7%)であった。この精神分裂病で入院している者で20年以上在院している者は69人(287人を100として、24.0%)10年以上の者は101人 (同、35.2%)、5年以上となると実に149人(同、51.9%)であった8)。

 しかしこの数字は懐疑的に見る必要があるとのことである。というのは、これは、ある日の時点(この場合は各年の12月末日)に入院している患者の一人一人について、その日までの入院日数を集計したものである。そのために次のような事象が統計数字に悪い影響を及ぼして、本当に知りたい数字は消えてしまい、補正の方法もないのである。例えば、(1)精神分裂病は一旦は症状が消えても再発する可能性が高い病気であり、再発によって入退院を繰り返している人も少なくない。入院延日数は多いはずなのにこの数字に現れたのはその人が最後に入院した今回の入院日数だけである。(2)長い期間入院していると、時に別科の病気に罹ることもある。例えば胆石にでもなってその手術のために他病院に入院したとすると、その入院中は当病院は退院したと見なされ、再度こちらの病院に戻ってきても前の入院日数は統計に用いられるものとしては消えてしまっているのである。(3)今日のように病床がどこもかしこも満床の状態では、病床の遣り繰りには大変である。退院させるつもりの患者ではないが、新患を入院させるために、その人を許可外出にしてその間一時退院したという形にして病床を確保したり、一つの病床を複数の人が交互に使い合ったということもあると聞く。その外にも、この統計数字にいろいろな影響を及ぼすような事例がいくつかあるとのことである。

 ここにデータがないので説得力に欠けるのであるが…一度この病気に罹れば治癒に至るということはまずない。入退院を繰り返しながら、薬と係わりを持ちながら一生を終える、というのが現在における精神分裂病者のイメージであろう。あえて本当の入院日数、入院延日数の統計を作ってみようと欲するのであれば、歴代のその病院の窓口をくぐった全ての患者一万余人のカルテを一枚一枚洗い直さなければならないようである。

 このように長期入院を余儀なくされている理由は、いろいろと取り沙汰されているが、次のようにまとめることができるであろう。

 1)病状が不安定のためになかなか退院に持っていけない。または退院してもすぐ再燃してしまう(病院内寛解の例も)。

 2)病状は安定しているが引き取り手がないために病院に留まらざるを得ない(両親の高齢化、世代交代、単身化が進みつつある)。

 3)残遺状態のため、または長期入院による施設依存のため、地域で自律した生活が不可能である(そんな彼らを地域の中で支えていく社会資源が乏しい)。

 これらのうち、1)についてはともかく、2)と3)については条件さえ整えば退院できるわけであり、そんな意味での退院可能者は、例えば1983年の精神衛生実態調査の結果によれば、条件が満たされれば退院できる可能性のある者は約3分の1となっている9)。


2.慢性精神分裂病者の地域における生活創造をめぐって

 <院内ケアから地域ケアへ>

 精神分裂病患者を中心にした精神障害者の治療において、1950年の精神衛生法公布以来、今日まで入院を中心にした精神科医療が展開されてきた。患者の多くを地域から隔離するといった形で治療を進めてきたため、地域は病院に依存し、病院は多くの解決できない問題を背負ったまま、地域に協力を求めることなく医療を展開するといった状態が続いていた。

 しかしながら、今日、世界の精神科医療の趨勢は、地域ケアの方向へと向かいつつある。

 我が国でもここ10年ほど、地域ケアの充実に向け、これに関連した諸制度が整備されつつある。最近では、1986年7月に公衆衛生審議会から「精神障害者の社会復帰に関する意見」が厚生大臣に具申され、そして昨年9月の精神衛生法の改正(この7月から精神保健法として施行)によって、精神障害者の社会復帰の促進に関する事項として精神障害者社会復帰施設の設置について明文化された。

 この間に、国際舞台にまでおよぶエピソードが展開されたが、また今日までに整備された法律、制度にはまだまだ不十分な点や欠陥を残しているが、これらを紹介すること検討することも興味あるところであるが、今回の文章の筋からいうと枝葉になってしまうので今回は省くことにする。

 我が国の精神科医療の地域ケア指向は、基には精神障害者の人権を守るということがあるが、国の最大関心は何といっても医療費の抑制と近い将来激増が予想される老人ベッドの確保という観点による長期入院者の退院促進である。

 では、症状の軽い者、症状の目立たない者はどんどん退院させれば良いかといえば、そんなものではない。先に示したような彼らの実態を無視して、そのための必要な手立てを何もせずにこれを行えば、例えばアメリカやイタリアが経験したようなストリート・ピープル、ホームレス・ピープルの問題を引き起こすことになろう。

 であるから、この問題はただ精神科医療の分野だけの独自の問題ではなく、社会福祉の分野や労働界を巻き込んだ、かつ行政を主体とした条件整備が不可欠なのである。

 長期入院の慢性精神分裂病者を地域に送り出し、社会での生活が維持できるように、多くの人たちが以下のようなモデルを指向し始めている。

 1)入院医療よりも通院医療、訪問活動を重視し、安易な入院は避ける。入院に至った場合も早期退院を促進し、いわゆる地域医療という方法で対応する。

 2)入院における治療の目標は、社会の中で現実的な生活ができる程度に回復するまでとし、ここまで回復すれば、時に病的体験が存続することがあっても、退院させる。しかし外来としての受診、投薬は継続とする。

 3)患者の地域での再発兆候を把握し、及び彼らの社会参加促進と豊かな生活、生きがいの創出の援助をするために、デイ・ケア、共同作業所、授産所などの整備をする。

 4)保護を引き受けてくれる家族がいないとか、家庭への復帰が困難な人たちのために、生活の場を提供すると共に、再発兆候把握の機能を合わせ持った援護寮、福祉ホーム、共同住居を整備する。

 5)地域の中でくしくも再発し、または社会生活に疲れた時は、休息という意味の、短期の入院がタイムリーにできるようにする。

 更にこれらに加えて、地域機関、例えば保健所、福祉事務所、民生委員、職業安定所、職親団体などと連携して、情報交換、地域住民の啓蒙、社会資源の開発を進める、とか、家族会や患者会の設立、育成をして、同じ悩みを持った人々の交流、情報交換をはじめ、自主的作業所等の運営、最終的には圧力団体として社会運動にまで導いていこう、という主張、アイデアなどもある。

 これらを後押しするような人々の努力、運動も多くみられる。例えば全家連(財団法人全国精神障害者家族会連合会)はこれらの基盤整備のために「精神障害者福祉法」の制定を早くから政府に要求し続けている。

 さて、これらのモデルから導き出される機能は、先に示した諸問題、すなわち、病院に長期入院を余儀なくされている慢性患者の退院促進、彼らの社会の中での選択肢の増大、彼らの豊かな生活、生きがいの構築という点では有効であるが、また再発兆候把握機能という精神障害者に対するもの特有の機能もあるが、これらは、どちらかと言えば、他の障害者に対するものと同様、障害者福祉の範疇に入るものであろう。

 <地域ケアにおける治療機能をめぐって>

 精神科医療に携わる者としては、また身体機能改善を指向する者としては、以上掲げた機能だけではなく、もっと積極的な治療機能を、すなわち彼らの現状の限られた能力をもっと開拓し、生活に支障ない状態にまで回復させたい、と考えるのは当然である。

 では、これらのモデルから、積極的な治療機能を引き出すことはできないであろうか。

 これについては、内外で理論化、システム化を試みている人々、機関がある。

 日本において、その面での理論化で最も先端を行くのは、精神病院に付設された精神科デイ・ケアを中心とする実践であり、そこでの成果や考察は、諸氏の論文等で紹介、報告されている。

 その代表的なものは、村田氏の理論である。氏は、デイケアを行う場合、社会にひらいた場面が必要であり、そのような場のもつ治療的役割として指摘できることは、(1)まず「ともかくもくつろげ気が休まるような身の置き所」を保障するような場であること、(2)このような「居場所、身の置き所」を実感した時、そこに生ずるのは「ゆるやかな所属感」とでもいうべき感情であろう、(3)それはさらに「それなりの自律性」へと発展し「ささやかな役割意識」をもつようになる、(4)このような意識の変化の過程で「潜在的能動性を引き出す」ことがプログラムを通じてはじめて可能になってくる、と展開している。そして、働きかける側の狙いは、これを「呼び水」にして他の生活領域全般の活性化、レベルアップを目指すことにある、と導いている。そこでの重要な要素は「ゆとり」と「遊び心」であり、通所者をこのような感覚がもてるようになれば治療的役割は大きいとしている。だからデイケアにおいてはこれをふまえた上でプログラムを検討すべきであると主張している10)。

 この面での研究、実践は、アメリカにおいて更に進んでいる。そのいくつかを紹介することにしよう。

 ロサンゼルスのブレントウッド・VA・メディカルセンターでは、生物学的な行動決定因子すなわち生物学上、環境上、行動上の各レベルにおける相互作用の理論から、環境や行動が脳機能に強い影響を及ぼすことを重視し、患者が自分の環境や性格さらには生物学的基盤に働きかけることにより、患者自身の転帰を変えることができるであろうという考えをもって、分裂病者の「脆弱性−ストレス−対処−力量」モデルを設定し、患者が自分の生活環境や脳機能に影響を及ぼすことができるような行動力量を訓練によって得させようと試みている。だから治療においても薬物だけにたよるのではなく、薬物療法と心理・行動レベルでの治療の相互作用によってアプローチしていこうとするものである。そのための生活技能訓練と対人関係における問題解決技能訓練を設定し、積極的なプログラムを展開している11)。

 カンサス州のメニンガー成人病院の部分入院サービス(PHS)では、「精神力動」理論を用いて、患者が経験する「移行」の精神力動の理解と、それに基づく基底的葛藤の解決とその現実面への適用という観点から治療を展開している。これは、患者の入院治療生活の、より「保護的、単純、恒常的、規則的、確固とした、予期できる」文化から、一般社会生活の、より「挑戦的、複雑、変動的、不規則、流動的、予期困難な」文化への移行に際し、患者が早期移行体験に基づく破局反応をもたないように、その移行が段階的治療体系に基づいて徐々に行われるように、各種治療施設、療法、プログラムが準備されている12)。

 1950〜60年代の脱入院化政策の後1971年に設立されたニューヨーク州立病院、サウス・ビーチ精神科治療センター(SBPC)では、慢性精神病患者の社会復帰のための総合プログラム「地域住居治療サービス」(CRTS:クリッツ)を展開している。これは、入院が6か月程度以上に長びく患者は慢性患者として、このCRTSが受け入れ、その中に15のプログラム、例えば共住アパート、デイ・ホスピタル、学習施設、家族ケア、地域生活援助機構、休息入院棟などが設置され、それぞれレベルの異なる患者層のニーズに応じて利用し、これはちょうど小学校−中学−高校−大学−社会人という教育システムのように、徐々に社会適応の技能を伸ばして社会復帰できるようにプログラムが組織されている。これは「認知−行動」理論による治療進歩という概念を用いて、各プログラムの関連性を支え、かつ治療理論としているわけである13)。

 日本の場合は、一つの施設で、少ないスタッフによる地道な実践を通して、そこでの成果を論文等で報告するという形が多いが、アメリカでは、一医療機関の管理者が陣頭指揮をとって、州政府などから資金を引き出し、大々的なシステムを作り上げてしまう、という、実にダイナミックな様相がある。そして、このような実践が一定の効果を上げれば、それが賞讃されるという基盤があるから凄いと思う。


 <デイ・ケアの機能について>

 日本には現在300を越す精神科デイ・ケアがあるが(内、保険認可されたものは1987年6月現在103)、例えば村田氏が確立させた理論や機能を参考にしながら、またアメリカにおける実践を手本にして、多くの人々が試行錯誤を繰り返しつつ、確固たるデイ・ケア機能を実現させようと取り組んでいる。しかしながら、日本の現状で必要とする機能は、何といっても長期入院者の退院促進策としての機能であり、これが行政レベルの意識の中心であり、かつ各病院の管理者の意識もこれに追随している以上、これに従わざるを得ない。それに今日ではまだこのデイ・ケアの数が、需要に比べて少な過ぎるのである。絶対数が少ないのである。

 ところで、全家連が次のような調査をしたので紹介しておこう。デイ・ケア利用者、作業所利用者のそれぞれに対してアンケート調査をしたわけであるが、デイ・ケアの利用者に対して行ったものとして、通って良かった点について、「友達ができたこと」が最も多く58.1%、「居場所ができたこと」、「気持ちが明るくなったこと」がそれぞれ37%以上、また希望することは、「就職の世話をしてほしい」が31.7%で最も多く、「通所時間が長いので近くにほしい」が21.3%、であった。それに対して、作業所の利用者は、通って良かったことの第1位は、「友達や仲間ができたこと」52.1%、第2位「行き場所、居場所ができた」46.3%、以下「気持ちが明るくなった」39.6%、「収入が得られ る」31.4%(注:作業所での収入は1か月2万円未満が77.6%というのが実態である)、希望することは、「就職の世話をしてほしい」32.0%、「もっと近くにほしい」21.3%、であった14)。つまり、デイ・ケア利用者、作業所利用者共に同じ意識傾向であると言えるのである。

 また、次のような流れにも注目する必要がある。ある県では、共同作業所、授産施設をデイ・ケアという名前に変えつつあるというのである。その理由は、作業所と言っても年がら年中作業ばかりしているわけではない、プログラムの流れの中でかなりの部分をレクリエーションや行事、その他利用者の生活を豊かにする活動メニューに当てている、これでは作業所と言うよりはデイ・ケアというイメージに近いから、ということのようである。

 現在、まだ整備途上段階にあるデイ・ケア、共同作業所、またその他の社会資源について、それぞれの形態の違いだけをみて、機能分担、役割分担について論議するのは時期尚早であると思う。地域での生活を希望している慢性の精神障害者にとっては、そのどれもが宝にも勝る存在であり、私たちは彼らのその気持ちを汲み取るべきであると考える。現状では、デイ・ケアだからといって本当にデイ・ケアの機能を必要としている人が通っているとは限らない。作業所だからといって本当にそこに適応できる作業能力を持った人が通っているとは限らない。しかし彼らにとっては、デイ・ケアが、共同作業所が、地域で人間らしい生活をするための細やかではあるが唯一といってもよい砦であるわけであり、この認識の上に立って個々の機能を検討すべきであると考える。治療効果のことだけを念頭にして、確固たるプログラムを設定することは、現状ではかえって通所者の負担となってしまう危険性の方が大きい。だから、今そこに通所している通所者の個々の特性をまずみて、名称からくる機能は二の次にして、それぞれの通所者に最も合った、通い易い、有意義な、そして個性的なプログラムを設けるべきである、と私は考えている。(注:全国の共同作業所の総数は、現在かなりの勢いで増加しつつあり、正確な数が分からないが、1500から2000位に至っているのではないか。そのうち精神障害者のための及び精神障害者も利用できる共同作業所の数は、全家連の調査では300を越しているとのことである。) だからといって、現状のデイ・ケアや共同作業所などに全く治療的要素を期待していないというわけではない。そこに通うことによって、少なくとも入院時よりは、家でじっとしているよりは、より豊かなアクションが要求されるわけであり、雑談に参加すること、一緒に遊ぶこと、プログラムに参加すること…、現在これによる効果についての理論化がなされていないが、私の目には相当の状態の改善を導いているように思われる。すなわち、「生活が回復させる」の一種であろう。誰かがこれを「たまり場効果」と言っていたが、的を得たことばだと思う。


 <障害者共存の文化の創造のために>

 地域ケアが時代の趨勢となった。精神保健法に「国民は…精神障害者等に対する理解を深め、及び精神障害者等がその障害を克服し、社会復帰をしようとする努力に対し、協力するように努めなければならない」と記されるほどに世の中は進んだ。それでは地域住民一般は障害者を自分の地域に受け入れ、彼らの社会復帰の努力に対して協力する態度はあるかというと――否である。

 私は、地域では精神薄弱者のための通所更生施設開設とそれを運営する社会福祉法人を設立する運動に携わっているものであるが、今、次のような問題が起きているので紹介しよう。

 会を結成して4年にわたる運動の結果、今日までに施設の運営主体の体制が確立し、施設を建てる土地については市所有地の無償借受が約束され、社会福祉法人設立の手続きも整い、行政当局の予算にも組み込まれた、というところまでこぎつけたが、建設予定地周辺の住民の同意を得る段階になって、住民の一部の同意が得られず、現在足踏み状態になっている。これについては新聞によって数回報道されたのでご存じの人もみえると思うが。今は反対している住民に対して繰り返し説得に回っているが、なかなか状況は好転しない。

 地域住民の意識なんて、まだこんなものである。

 地域に共同作業所を作ろう、共同住居を建てよう、と口で言うことは簡単であるが、これを実行に移そうとした場合の障害の予想は極めて大きい。

 そんな現実の中にあっても、デイ・ケアを建てることは、最近行政側の対応もかなり整備されたことでもあるし、既設の病院の敷地を活用できるメリットもあるし、地域に作業所等を建てることの困難さと比べれば、容易な面がある。「精神障害者の社会復帰に関する意見」の中では、精神科デイ・ケアが「精神科医療施設における地域ケア機能の基本形態である」と位置付けられている。地域の中に、そこにもあそこにもデイ・ケアがある、という状態になれば、ここにもあそこにも精神障害者が住み、いつでもどこにも精神障害者が歩いている、ということになり、地域住民の心に、自然に(いやおうなしに)障害者を受け入れる態度が育っていくことであろう。そのためにも全国の精神病院の関係者の更なる努力を期待したいところである。

 精神病院において患者をただ拘禁して管理しておくだけという「カストディアル・ケア」(監禁的介護)の経験や、地域住民の精神障害者に対する無知や偏見はどこの国にもある。そんな中にあっても、欧米各国では民間の障害者権利擁護組織と国とがタイアップして、失敗もあったが、地域精神保健サービスの充実に力を注いでおり、一定の成果を上げている。現代の世界にあっては、精神障害者のみならず全障害者の権利回復のために、国がどのようにリーダーシップをとり、どのような施策を展開しているかということが、その国がどれだけ人権を尊重しているか、どれだけ民主主義が定着しているか、のバロメーターになっているのである。国の姿勢が問われるところなのである。今後、国や地方自治体の責任においてデイ・ケアが積極的に推進されるよう、法令を整備し、財政的基盤を充実させてもらいたいものである。


 <慢性精神分裂病者の就労をめぐって>

 障害者が地域で生活することができるようになれば、その次に課題としてあがることは、障害者が地域で働くことができるようになること、普通の人と同じ場で働くことができるようになることであろう。

 この働くということについて、精神障害者を対象にしているものについていえば、現在制度として整備されているものは、各県で規定し実施している職親制度があり、この制度を通してアプローチしていく方法がある。

 しかしながら慢性精神分裂病者のための求職活動を行っているソーシャル・ワーカーであればその誰もが感じていると思うが、たとえどんなに職親制度が整備され、求人の数が増えたとしても、現行の雇用制度の発想の枠ではこれらの制度が適用できる慢性精神分裂病者はどうしても限られてしまう。つまり、これらの仕事に適応できる人は、だいたいはこれらの制度を利用しなくても自分で就職先を捜して職に就くわけであり、過去に就労の失敗を繰り返した人は、たとえ彼らのために整備された制度や私たちのような機関を媒介にして職に就いても、やはり失敗を繰り返してしまう傾向がある。

 いわゆる一般の就労がそのままではできない人々がいる以上、それとは異なった、共同作業所や授産所などの補完的就労システムを設けなければならない。このような認識から、多くの人々が共同作業所などを設立するための運動、実践をしているわけである。

 しかしながら、全国の共同作業所からの報告などに目を通しても、作業所から一般の就労へと巣立っていくケースは極めて少ない。一度作業所に通うようになったら、いつまでもそこの作業所通い…そして通所者の滞留…どこの作業所も満杯で、新たな希望者が入る余地がない――これが現在の作業所の実態であり、スタッフの悩みでもある。この橋渡しになる中間的な就労形態、就労システムがあれば、多少なりともこの問題が解消されると思うが。

 作業所の就労と一般の就労とのギャップは一体何であろうか。雇用者の理解の度合いであろうか。作業の種類であろうか。私は、労働の現場における労働能力に対する寛容さとゆとりの大きさ、それらを含めた労働密度の差ではないかと思っている。

 デイ・ケアに通う人の中に、隔日勤務とか半日勤務であれば何とか続けてやっていけるのではないかと思われる人がいるが、そんな仕事を捜そうとしても世の中はそうも甘くはない。たとえ理解ある雇用者であっても、その人は一企業の経営者であり、採算を無視して就業することはできない。職親になってもらえる人の多くは中小企業主であり、下手をすれば自分の会社を潰してしまう可能性もある。であるから、作業量や労働密度を一定の水準より落とすことができないのである。

 以前、職業安定所の職員に、アルバイトかパートでよいが、隔日勤務または週休3日程度、1日の労働時間が4〜5時間で軽作業の仕事はないか、と聞いたことがあるが、現行の労働慣習にそぐわないということで見付かる可能性は皆無に近いとのことである。

 ヨーロッパでは、労働時間短縮の流れに加えて、ジョブ・シェアリング(またはワーク・シェアリング:労働の分かち合い)の拡大の流れがある。これは、元は夫婦が一人分の仕事を二人で分かち合って家庭での時間を保障し合うという発想であったようだが、もう20年ほどの積み重ねがあり、現在ではいろいろな形態に発展して、一つの確固とした就労形態になろうとしている。私たちはこれに注目する必要がある。

 仮に、ある企業から一人分の求人があったとする。それは労働基準法にのっとり、1日8時間、週40数時間であったとしよう。これを例えば4人で分かち合って、1日目の午前はAさん、その午後はBさん、翌日の午前はCさん、午後はDさん、以下繰り返し、という形にする。賃金は一人分のものを各人の労働時間で換算してその4人で分ける。こんな就労形態は展開できないであろうか。

 先駆者はいるものである。川崎市社会復帰医療センターの実践で、「集団就労」と称してユニークな試みを1974年から始めており、一定の成果を上げている。このことを同所の牧野田恵美子氏が報告しているので参照されたい15)。これが一般就労と作業所就労との橋渡しになる中間就労形態と位置付けることができるのではないか。

 そこで、私が今、アイデアとして持っていることは、この中間就労形態としての「集団就労」と作業所やデイ・ケア等の通所との、更に中間形態としての就労方式である。川崎市の場合は、たとえ労働を分割したといっても、雇用主が雇用契約を結ぶのはそれぞれ分割された時間を担当する個人個人である。これを更に、この個人契約だけではなく、一人分の雇用枠を、作業所やデイ・ケアなどの一つの施設との間で契約できないかということである。もしこれができれば、その職場へ派遣する人選はその施設に任せられることになり、その施設に通っている複数の通所者を労働能力、力量、日々の状態に基づいてフレキシブルにローテーションが組め、その施設の一プログラムとして位置付けることもできるわけである。確かに慢性精神分裂病者の特性すなわち仕事の覚えが遅いなどということからみると、このフレキシブルな点がかえってデメリットを誘う要素になっている。しかし長い目で見れば、ちょうど自動車がギヤをチェンジしてエンジンに過度な負担を与えないように加速していくように、労働密度や労働の質の変化が無理なく溶け込ませることができるのではないかと思われるのである。

 この4月に「身体障害者雇用促進法」が「障害者の雇用の促進等に関する法律」に変わり、精神薄弱者も身体障害者と共に企業の義務雇用の枠に組み入れられることになった。

 これまで長い間、精神薄弱者についてはこの制度に適用されない状態であったが、これはもともと精神薄弱者が持っている特性、すなわち生産という観点でみた場合の彼らが持っている能力上の問題、一症状に対して適した職種を確定することができないなどのため、企業への就職は適さないとされてきたためである。しかし現実には精神薄弱者を雇用している事業所がかなりあり、障害者を雇用することによる企業の経済的負担、配慮は同じなのに、精神薄弱者だけ助成の対象外というのは問題であるため、これに係る長い配慮的運用の末、今回の改正となったものである。

 精神障害者についても、私たちの工夫とアイデアで変形就労という形ででも何とか企業へ送り込むことができれば、精神薄弱者が為し得たと同じように、精神障害者もその枠に組み入れられるための一ステップになるのではないかと期待している。



 1) 上田 敏 『リハビリテーションを考える― 障害者の全人間的復権』青木書店、1983

 2) 湯浅修一 「分裂病の予後――経過と転帰」『こころの科学』No.10増大 号、1986 その他

 3) 臺 弘 「慢性分裂病の障害概念」『臨床精神医学』14(5)、1985

 4) 厚生省保健医療局精神保健課 『我が国の精神保健(精神保健ハンドブック)』(昭和61年度版)

 5) 村田信男 例えば「デイケアの治療的機能と回復過程の指標」『精神科治療学』1(3)、1986

 6) 岡上和雄 「慢性分裂病の数的把握」『臨床精神医学』14(5)、1985

 7) 厚生省大臣官房統計情報部社会統計課「社会福祉施設調査報告」

 8) S病院年報1986年版

 9) 厚生省実施の精神衛生実態調査は、これまでに第1回:1954年、第2回:1963年、第3回:1973年、そして第4回が1983年に行われているが、第3回以降は実施反対の運動が強く、不十分な調査であったためか、細かいデータが公表されていない。第4回の全国施設実施率は50.5%であった。

 10) 村田信男 前掲書

 11) R.P.Liberman 他著、中込和幸 他訳 「分裂病患者の社会適応のための技能訓練」『精神医学』30・2、1988

 12) 高橋哲郎 「米国メニンガー・クリニックの昼間病院治療」『臨床精神医学』15(3)、1986

 13) 遊佐安一郎 「ドクター・ユサの訪問記21:地域住居治療サービス」『こころの臨床ア・ラ・カルト』1987、12

 14) (財)全国精神障害者家族会連合会『日本の精神障害者と家族の生活実態白書』1986、5

 15) 牧野田恵美子 「慢性分裂病の就労と社会生活――社会復帰センターの活動を通して」『臨床精神医学』14(5)、1985

  1988.6.15


 [ 1997. 3.10 登載] 
 ※ この文章に用いている「精神分裂病」及び「精神病院」の語は、現在は、「統合失調症」「精神科病院」という呼び方に変わっております。
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