社会保障への接近 ILO, Approaches To Social Security, 1942




 社会保障資料No.11


社會保障への接近

―I.L.O.研究報告書―








厚生大臣官房総務課


      はしがき

 本資料は International Labour Office の studies and reports Series M, No.18 "Approaches to Social Security - an International Survey (一九四二年三月初版)の重要部分を翻訳したものである。

   昭和二十六年十二月

厚生大臣官房総務課  






    社會保障への接近


      序  文



 本論文は、現在、自由と人間の人格尊重に基いた文明とのために闘いつゝある諸国民の偉大な諸目的の一つを対象としたものである。社会保障の理念は、欠乏の恐怖から人間を解放しようとする人々の深刻な希求に由来するものである。この理念を実現するためには、非保障(Insecurity)の諸原因が可能なる限り除去されねばならないし、個人に対しては自己の努力によつては対処しえない生活上の共通の諸危険に対する保護が確保されねばならない。

 本論文は到達点であると共に出発点でもある。というのはこれは、社会的諸危険を負担する社会保険と社会扶助の形態が社会保障に対して果してきた貢献をかんめいに再検討する目的をもつて国際労働局が社会保険と社会扶助の関聯した制度に関して刊行してきた一連の永い研究シリーズの仕上げであると、同時にこれはまた戦後再建の準備として、完全な社会保障プログラムの計画えの途を開くことを意図しているからである。

 本論は序論的性格を持ち、ただこのようなプログラムに対するなまの資料を提供するにすぎない。将来を論ずる危険をおかしたり、また拡充や改善を想定したりする前に、近い過去やより遠い過去を回顧し、時代を劃する顕著な事実を観察することが妥当であろう。本論のような調査においては推理空論はなんの役にも立たない。本論の唯一の目的は、実施されてきたいくたの種類の諸計画の中から、経験によつて導かれてきた発展的動向を明確に把握することである。従つて本論のとり扱い方は全く記述的であつて、殆んど例外なく、実行の可能性が明らかにされた計画のみがこの序論的観察において問題とされている。しかし、国際的な調査はこのような限定をもつているとしても尨大な複雑な分野における将来の活動に対してある程度の嚮導の役割を果しうるものと期待される。

 第一章においては社会扶助の貢献が要約されている。抑圧性と慈善性が交代はするが常に屈辱的であり漠然とした不安定な救貧制の伝統的な制限からひとたび解放された社会扶助は合理化の過程を辿つた。そしてこのことは専問化個別化を意味するものであり、また予防的意図をもち、たより甲斐のある給付を意味するものであつた。常に救貧制と区別され別個に管理されてきた社会扶助の主要部門は、次の如きものである。老令者や疾病者の無拠出年金、母年金、失業扶助、医療扶助、最近のものとしては労働能力喪失者補導がある。

 第二章においては社会保険即ち強制的相互扶助が取り扱われている。社会保険は、困窮者に対する義務を表現する社会扶助と個人の支払う保険料と彼に約束される補償の均等性に基いた商業保険との中間に位している。強制保険の顕著な特徴は、将来の受益者と彼等の雇生とが財源に対する責任の点で結合していること、この制度の非営利的恒久的性格、現金・現物給付サービスならびに予防的活動の専門化していること等にある。社会保険の諸部門の組織、領域、給付、財源に関しては、それぞれの部門―労働者補償、疾病保険、年金保険、失業保険―の序論の次の項において考察されている。強制保険は欧州大陸ならびに英国において深い根をおろしているが、二回の大戦間において急速な発展を示した、もつとも北アメリカと南アメリカにおいては多少その発展の方向を異にしているが、社会保障の発展に対して主たる貢献を果してきたものは社会保険である。

 第三章においては、社会保険と社会扶助の総合に基く社会保障諸制度のいくつかの事例が示されている。すべての社会的危険の統合―労働能力の喪失、失業、稼ぎの死亡――は明確に実現されている、そして労働大衆とその家族に適切な保護を供与する社会保障サービスは単一の指導機関の下に管理されている。いくたのサービスの必要な専門化は適用範囲の普遍性や保護の效果と少しも矛盾しないことが理解される。まづ整理、次いで統合――これこそ総合的社会保障えの進歩であろ。

 概論的な考察を行つて、本質的部分を明らかにするために、表現は極力凝縮化され単純化された。このような描写方法をとると全景の理解が容易であろう。以上と同じ理由で、比較立法の研究において極めて多い資料についてはその引用はすべて省略した。事実、読者は検証の手段を奪われたわけではあるが、それはエツセイの形態の点からまたそれ以上に最近の外国資料は多くの読者にとつてはみることが困難であるという理由で、本書を軽易的なものとするためにはゆるされるであろう。

 附録として次の文書(本訳書においては省略―訳者)を摘録した。即ちこれは今次戦争勃発後採用されたものであつて、首尾一貫した明瞭な形態で社会的危険を全体としてとり扱つている「社会保険の諸目的と諸機能に関する国際労働局のアメリカ各州第二次労働会議の決定」である。これは一九四一年末までの立法を考慮に入れている本論において敍述されてきた発展の到達せる段階を示すものである。



      序   論


 人間の生活においては幼年期と老令期の二箇の扶養段階がある、そしてその間の成年期においては自己の能力で生計を立てえない中断期がおこりがちである。児童の扶養に対しては本能が直接配慮するが、扶養の他の場合に対する自然の関心はそれ程明らかでなくはるかに漠然としている。無力者に対する関心は――それは慣習においては促進され、後には法において合理化されたけれども――しかしまだ竪実な制度の発達を生みだすに至つていない。政治的支配の拡大は現実の社会的意識の領域を凌駕する傾向があつた。今日においてさえも、公衆の市民権の社会的意味はいまだ充分に認識されるに至つていないが、しかし、有望な徴候を示している。国家と文明の防衞の緊急性は、社会秩序の再調整を要請している。そしてひとたび惰性が克服されて本質的要素が活動し始めるや、科学と経験が導く線に沿うて効果的な団結えの偉大なしかし漠然たる期待が満足をみいだしうるような新規の模範的な型を編成することができる。

 ここで、社会が社会保障の問題に接近した旧世紀的な方法や近代的な方法を思い起すことが適切であろう。というのはそれらはすべて、別個の制度として或は現在の社会保障の動きの大きな流の支流としてなんらかの形態で残存しており、その流の中でかなりの影響力として存続しているからである。更に、これらの伝統的な方法は、永遠の効力に対し強力な要求権を有するものとして呼び出すことのできる原理を例示している。

 社会組織の単位である家族は保障の原細胞であり、あらゆる将来の制度の原型であり相似体である。幼年期の子女に対する両親の扶養と老令期の両親に対する子女の扶養の、相互約義務は社会保険においては世代の連帯によつて具現される。保護者としての父系的責任は歴史を通じ、平民に対する貴族、領民に対する領主、召使に対する主人の関係に例証されている。その関係は、今日においては雇主の労働者保護のいくたの法的責任や雇主が自主的に行う多くの福祉計画において残存している。

 家族は防衞の第一線であるが、それは限られた不幸のみしか処理しえない。災難に際しては種族或は隣人のより大なる集団に訴へることとなる。より大なる集団の責任感は、宗教的刺戟によつて喚起され、支持される必要がある。かくて信者の慈善的施与は牧師によつて頒たれる。プロテスタント諸国における宗教的刺戟の弱化とその地方社会における教会管理に対する一般人による代替は、法による救貧税の課税と、施与者の済度や受給者の福祉よりもむしろ社会的平和の維持を意識的目的とするに至らしめた。中世の都市において発展した救貧的諸制度や最初の国民的な救貧法特に一六〇一年の英国法において、異常事態から発生する貧困問題の合理的、組織的処理の発端が見出される、これは抑圧を主たる考慮としたものであつたにしても少くとも理念的には医療、仕事の供給や職業補導を含む処置であつた。

 既に家族関係の中に暗々裡に表現されていた相互扶助の概念は、すべてのものが曝されている不幸に際して相互援助を約する身分関係におけると同様に、労働者の社会において独立的存在を獲得するに至つている。原則として何種の職業を基礎とするこのような平等負担の社会は、粗雑な推計による醵出に対して埋葬と疾病の給付を約束する最も初期の社会保険制度であつた。しかし小さな緊密に結合せる社会においては、その処理規定において正確を欠いている欠陥はしばしば温い同情によつて償はれるのである。

 十七世紀における死亡率の法則の発見によつて商業企業としての生命保険はその発展の数理的基礎を与えられた。生命保険企業においては、数学者が不可避的に緊密に参加したため、最初からその企業行為は明確な性格と特殊の廉潔性をもつていた。その諸原理は数理的に公正であり、長期的な支払能力をもつものであつた。しかしこの場合の公正は社会的正義とは殆んど関係がない、それはその基準が保険料と危険との間の精密な等価関係にあるからである。しかし保険数理的技術は、その生命保険概念の場合と同様に、強制社会保険の最初の制度の企画と運営のためには必要欠くべからざるものであつた。

 現世紀の始めにおいて、この伝統的な接近方法は社会保障の動向に次の如き二箇の主流を発生せしめた。即ち社会の披扶養者群に対する一方的義務を現はす社会的扶助の流れと、強制的相互扶助に基く社会保険の流れである。完全な社会保障プログラムにおいては両者の接近が必要とされる。



   第一章 社會扶助による接近


       序  説



 千年前、シヤーレマン大帝の領土においては、貧困者救済は教区の責任であると宣言された。各教区は老令者、虚弱者、失業者、孤児等の貧困者が家族からの扶助を受けられない限り、彼等を扶養せねばならなかつた。この原理は西欧ならびに今日までの合衆国における法制上或は慣習上の貧困者救済の基礎となつて残存している。十六世紀以降において一部大都市は、貧困者を分類すると共に、ヴイヴエス(Vives)(註)の提案した合理的にして建設的な方法の(一五二六年)適用を計画し始めたのである。このスペインの人道主義者は無差別な救恤の代りに、ソーシヤル・ケースワーク、失業者に対する職業訓練、遺棄児童に対する養育院、病人や精神異常者に対する別個の病院、盲人・虚弱者に対する保護的雇用を主張したのである。一六〇一年の英国の救貧法は、教区救済の資金をまかなうため始めて強制的救貧税を設定した、このような教区の救済はヴイヴエスの勧告を単純化して明確に表現されたものであつた。即ち教区は貧困児童に従弟教育を行い、労働能力を有する失業者に仕事を与え――その目的のために原料ストツクをもち――、そして労働能力のない者には必要な救済を与えることになつた。社会の慣習的な責任を組織化した何じような内容の国民的立法は、二世紀後にデンマークとスエーデンにおいて制定された。しかし今尚、社会は貧困者を救済する法的義務を有しないとの見解をとるいくたの諸国がそれぞれの大陸に存在している。

 訳者註 Juan Luis Vives (1492―1540)はスペインの学者でフランスに遊学してルーヴアン大学の古典文学の教授となり、後英国に招へいされてメリー王女の家庭教師をつとめたといわれ、更にオツクスフオード大学にて法学の学位をとり、哲学の講座を担当した。いくたの哲学的著書を残している。

 貧困者の面倒を自由意思の慈善に放置しないで強制的、法的基礎の下におかれるべきであるとするならば、そして交通の困難と政治的混乱がより大なる地域を包括する行政制度の発達を阻害する限り、責任を現実に課することのできる唯一の団体は教区ないしは地方自治体であつた。貧困者の救済は彼等を知悉する隣人によつて行はれるべきであるとすることは、単純な社会にとつては賢明な自然の政策であるように思はれる。しかし村落や小さい町ではその負荷される危険を負担する団体としては小さすぎるであろうし、それぞれの型の困窮に適切な種類の保護を与ええないことは確実である。富有者群と貧困者群との間の処理の不公平や小規模な単位における方法の非能率は、地方当局によつてまかなわれ類別される救貧の特徴的な欠陥である。このような欠陥は、扶助制度によつて、課税され・サービスされる領域を拡大することによつてのみ矯正される。即ちそれにはまづ第一に扶助目的のために市町村を組合せ次いで州や郡に責任を課することにより、最後に中央政府自体を公共扶助の管理に参加せしめることである。経験は、量質における扶助の適正は国家の介在の増大に比例してのみ達成されてきたことを示している。公共扶助における国家の参加は十九世紀末においても尚稀であつて二十世紀においてはじめて外延的にも内包的にも発展するに至つたのである。中央政府の不断の政策は一般的にいえば、明確な困窮のタイプに対し特定の制度を設定し、或は規定された最低水準のサービスの達成に関して条件づきの補助金を支給しながら地方政府のかかる政策を促進することにあつた。

 貧困者救済の一般的制度と区別されるところの「社会扶助」なる用語が指示するものは以上の如き特殊の制度である。十九世紀の個人主義的、中産階級的民主主義は、被救恤階級の存在を道徳的罪悪として抑圧手段によつて処理しようと企てたのであつた。そして多くの諸国においては、法律上の貧困者救済を受けると救済を返済するまで選挙権を喪失することになる。更に救済は、現実に困窮状態にある人々に限定されたのである。社会扶助制度の多くは一九〇〇年以降に樹立されたのであるが貧困に対しては異なつた態度を表明している。その給付は受給者に対してなんら政治的な資格喪失をもたらすものでなく、かつそれは単に困窮者に対してのみならず一定の基準に従つて自己の必要を満すべき資力をもたない人々にも与えられるのである。規定条件を充足する人々に法的権利として給付を支給する制度は貧困者救済から発展してきたものである。

 一連の社会扶助制度の創設によつて、漠然たる意図と広大な領域をもつた貧困者救済の一般制度の責任は逐次解放されつゝある。貧困者救済が公共の義務となるに至つたことのない諸国においては、社会扶助制度は、この制度が殆んどすべての種類の基本的必要を包括するに至るまで発展するに至つたのである。またその他の諸国では、広範囲にわたつたいくたの側面をもつ社会保険制度が早く発達したために社会扶助の必要性発生の機先を制し或はその発展を停止せしめた。またある諸国では、十年ないし二十年前までは私的慈善や教会の喜捨が、貧困者救済のまかない得ない多くの必要を処理してきたのである。しかし、世界のいづこにおいても輿論は最低水準の福祉がすべての人々に保証されることを要求しつゝある。そしてこの最低を構成するものの概念を絶えず向上しつゝある。歴史の展開と共に新らしき可能性の地平線が出現してくる。一方において、社会連帯の認識は、義務の信念に発展し、社会福祉のために向けられる個人の資産の比率を益々増大せしめるに至つている。他方において、医学・生物学におけるいくたの発見と個人の博愛の経験は、進歩の方向と方法を指摘している。

 一九〇〇年頃までは、社会扶助の殆んど唯一の実例は医療特に病院の領域に限られた。中央政府と地方政府は協力してすべての階級の人々が利用しうる総合病院や精神病院或は肉体的、精神的欠陥を有する人々の治療のための施設を設置し、またしばしば個人の慈善施設に対して公共補助金が支出された。現世紀の最初の十年間に多くの諸国においては、人道主義的手段として無拠出養老年金が創設せられた。第一次大戦直後、国家は結核・性病ならびに母子福祉のあらゆる側面に対し積極的に関心を抱き始めた。三十年代の初期、多くの諸国では世界的な経済不況のために失業扶助の国家制度を設置せねばならなかつた。

 あらゆる形態の家族福祉は世界を通じて政府の社会政策において重要な地位を占めている。一九二〇年頃までは国家は主として児童の精神的、道徳的福祉――放置・遺棄された児童の教育や保護に関心をもつていた、もつとも一部の諸国においては既に母子の医療上の必要のために疾病保険が開始されてはいたのであるが。第一次大戦における人的資源の損耗と出生率低下の結果、国家は人口問題に対し深甚な関心をもち始めた。最初の実行は出産に関するもの例えば姙婦の予防的保護、産科的保護、母の育児援助等に関するものであつた。次いで医学は学童を対象とし始めた、もつとも学童の医療はむしろ疾病保険を通じて行われたのであるが。特に児童については、栄養の重要性が広く認識されるに至つたため稗益しつつある。一般に姙婦や授乳する母には特別の栄養物、乳児にはミルクを供給しまた学童給食を行う国は増加しつつある。多くの諸国では現物を支給する以外に、各種の形態で現金支給によつて家族生活の刷新に努めている、即ち勤労婦人の出産前後の休業に対する手当、結婚ならびに出産手当・家族手当――これは殆んどあらゆる場合において拠出制の下に支給される。

 社会扶助のいくたの部門の管理が中央集権化される度合は主として次の三箇の要因に依存する、第一は問題となる必要性ならびにこれを充足するために必要とされる扶助の単純性と相対的永続性の有無、第二は特殊の管理機構の設置を正当化する必要の偏在性、重要性と特性、第三は斎一な標準に従つて必要の充足を確保することに対する熱列な国民的関心の有無である。一般に、中央化度合が大であればある程、問題の扶助はますます権利の性格を獲得するに至る。それはまさに国民的な制度は、経験的な方法による扶助の劃一性と裁定を意味するからである。他方において小さな地方当局はその支給する扶助に著しい彈力性を随伴するような諸部門に対しては――おそらく国家の援助をうけるであろうが――立派に管理しうるであろう。そしてそのような部門においては受給者側の個人的利害と自発的授助の募集とは扶助の質を改善しうるし、また人口一人あたりのコストは地方によつて著しい差異を生ぜしめないと思われる。無拠出年金と失業扶助は常に中央政府によつてないしはその統制下に管理される、しかし地方当局は母子福祉と医療扶助の管理を保持している。(以下省略)

 省略部分
  A 老令・廃疾年金
  B 母年金
  C 失業扶助
  D 医療扶助
  E 廃疾者救済



   第二章 社會保険による接近


       序  論



 強制社会保険は、ミネルヴアのようにジユピター神の額からましてビスマルクの額から全き姿で跳び出してきたものではない。その当初は試行的なものであつて、完成されたものがいかなるものであるか想像も許されなかつたのである。特に、危険の本質的同一性即ち事故・疾病・廃疾・老令・死亡・失業等に基く所得の喪失は認識されもしなかつたし、また保険がいかにして逐次その機能を拡大し、そしてもつぱら現金給付による補償から脱却して予防的・恢復的サービスにますます注意を志向するに至るかは予見もされなかつたのである。

 それにもかかわらず、当初から強制保険は、労働賃銀には非自発的な損失の危険をカヴアーする保険料を包含すべきでものであつて国家の責任は単に補助的にすぎないとの原理に基いて、賃銀労働者を極力貧困者救済から独立たらしめる目的によつて、形成されてきたのである。

 最初の偉大な欧州的制度樹立にあたつて基礎となつたものは、任意疾病基金と雇主責任の原理と長期にわたり官吏や鉱夫や船員のために存続してきた年金基金であつた。従つて社会保険は最初から雇主が単独で責任を有するものとみなされる事故危険と雇主・労働者の共同の関心とみなされる一般的肉体上の危険とを区別してきた。次いで一般的肉体上の危険は、組識上の目的からそれが短期現金給付や医療給付(疾病)を意味するか或は長期現金給付(老令、死亡、廃疾)を意味するかに従つて分類されてきた。その後失業が社会保険のカヴアーする危険の一として追加されるに至つたとき、その出発点は労働組合の行つてきた任意保険であつた。社会保険は早期に一つの組織形態をとつた。それは古典的となつたがある場合にはこの形態は、問題の伝統的制度が発展していなかつた諸国において採用されてきたのである。強制的社会保険は約六〇年前にドイツで始められたものであつて、ビスマルクの関係せる一八八三―八九年の立法は他のいづれよりも社会保険の発達に著しい影響を与えたのである。

 一部の欧州諸国は、任意保険から直接強制保険に進まずして任意保険運動に対する国家補助金――最近は疾病基金や養老基金に対して、次いで失業基金に対して――の実験をもつて進んだ。任意保険の弱点は、常に、保険的保護を最も必要とする層即ち最低賃銀の人々、最も不規則な雇用状態にある人々や貯蓄の最も少い人々が、補助のない保護を購入しうる余裕のない(任意保険に加入しうる余力のない意味――訳者)という点である。国家補助金による援助は基金の最貧困の人々に限定されているわけではないが、保険コストを低下せしめる。補助金が例えばコストの四分の一というほどかなりの率に達する場合、かつ生活と教育の一般水準がデンマークやスイスにおける如く高い場合においては、任意疾病保険はこれらの諸国における極めて重要な階級である農民やその他の独立労働者を含む低級・中級所得人口の大部分を吸引することができたのである。そのような場合においてさえ、デンマークは一九三三年に疾病基金をすべての成年に強制的としたし、スイスにおいてもまた疾病保険を強制的制度とした州は多かつたのである。

 しかし、大部分の諸国は補助金制に基く任意保険の段階を経ない途を選んだ。その理由は、その成功の社会的条件が欠如していたか、ないしは国家が必要な補助金を支出すべき状態になかつたかのいづれかであつた。強制原理は雇主と徒弟や非熟練労働者を包含する全雇用人口を通じて貫徹することができる。強制は被保険者の醵出以外の財源がなければ実行しえないであろう。しかし保険に対する責任が被用者身分の基準によつて限定されるとき、雇主醵出――それについては有力な決定的な諸見解が提出されている――を課することができるし、また常に課せられている、その結果この制度の財源は著しく増加する。強制保険によつて、産業は自己の労働者に困窮に対する強力な保護を与えることを要求される。しかし、強制保険の財源は、しばしば、国家補助金によつて強化される、それの正当化の主たる根拠は国家が社会的福祉の促進に対して有する関心である。

 社会保険のいくたの部門が導入される順序は、一方においてはそれぞれの部門のもつ緊急度により、他方においてはそれぞれの部門の随伴する管理上の諸問題の相対的困難性の度合によつて決定される。被保険者と緊密な関係を保持する地方機関と、すべての肉体的諸危険に対して利用される医療サービスをもつ疾病保険部門が当然まつさきに樹立されるものと想定されたのである。しかし現実においては最少限の国家の参加をもつて効果を発揮しうる多かれ少なかれ単純な雇主責任法がいづれの地においても強制保険のいづれの部門の導入よりも先行したのである。任意保険において最も進歩せる部門は一般的に疾病保険である。この事実は、疾病保険を強制的制度に転換せしめるという安易な手段をとらしめるか或は既に明らかに疾病危険をカヴアーするためにかなりの体制が整つているが故に政府をしてむしろ年金保険に意を用いせしめるに至るか、いづれかであろうと思われる。強制失業保険は、英国の一九一一年の法律は別として、この最後の十二年間の産物であり、従つて社会保険中最も新らしい部門である。

 以上の古典的な型は四種の設計から構成されており、そのうちの二種の設計――労働者補償と失業保険――は相互にのみならず他の二種の設計――疾病保険や年金保険からも孤立している。そしてまた後者の二種は相互に隣接しながらも別個の存在となつている。それはいづれも変更に対して著しく抵抗的であつて、我々の選択に従つて我々は、社会保険の各種の部門を、異なつた諸機能の効率的遂行のために必要な専門化としてか、或は有機体の一群――それぞれの有機体はひとたび確立されるといづれも自己の獵場確保のために闘い生残をはからんとする――としてかのいづれかとみなすことができるであろう。それはいづれであるとしても、主として欧州において一八八〇年と一九三〇年の間において樹立された社会保険は雇用人口の社会保障に対して素晴しい貢献を尽してきたことと、同じ広汎な諸原理がいくたの異なつた種類の文化の中に効果的に適用しうるものであることはたしかである。

 それぞれの固有の分野を保持しながらも、社会保険は進歩を遂げていつた。それぞれの部門――労働者補償、疾病保険、年金保険、失業保険――は漸次明らかにされてきたそれぞれの任務の性質に対してその構造と政策をますます緊密に適合せしめながら多少とも独立的な経歴を遂行してきたのである。しかし同時に、すべての部門は共通の傾向によつて影響を受けてきたが、他方においてその傾向はそれぞれの部門をますます緊密に結合せしめてきた。社会保険のそれぞれの別個の部門の発展が相互に遠く隔離することなくそれぞれの独自の途に沿うて行はれてきたために、組織の方法・領域・給付政策・財源においてすべての部門がますます緊密な関係を結びつゝあることは顕著な事実である。このような動向は極めて大ざつぱな筆致でしか描写できないので、その結果当然に、しかし独断的に、それぞれの国における現実の制度の重要な差異をぼかすこととなり、また国民的諸政策の発展における速度と方向の同一性を過度に強調するきらいがあるであろう。(以下省略)

 省略部分
  A 組 織
   (1) 労 働 者 補 償
   (2) 疾 病 保 険
   (3) 年 金 保 険
   (4) 失 業 保 険
   結  論
  B 領 域
   (1) 労 働 者 補 償
   (2) 疾 病 保 険
   (3) 年 金 保 険
   (4) 失 業 保 険
   結  論
  C 危 険 と 給 付
   (1) 労 働 者 補 償
   (2) 疾 病 保 険
   (3) 年 金 保 険
   (4) 失 業 保 険
   結  論
  D 財  源
   (1) 醵  出  者
   (2) 醵 出 と 危 険
   (3) 財 政 制 度



   第三章 社會保障制度


    A 要素――社会扶助社会と保険



 社会保障とは、社会が適切な組織を通じてその構成員がさらされている一定の危険に対して与える保障である。この危険というのは、本質的には、僅かな資力しかもたない個人が自己の能力或は思慮のみでは或はまた家族員との私的な協力をもつてしても有効に対処しえない事故をいうのである。これらの事故の特性は、労働者の自己ならびにその被扶養者の健康と体面維持能力を危険におとしいれるという点である。従つて、国家がその市民の一般福祉のために存在する市民の共同体である以上、社会保障の促進は国家の固有の機能である。すべての国家政策が社会保障にある程度の関連をもつているが故に、社会保障サービスを、疾病の予防・治療、稼働能力を喪失した場合における扶養や就業恢復等の目的をもつた給付を市民に与えるが如き制度のみに限定することが便利である。しかし、反面において、このような手段はすべて保障を与えるものとみなすことはできない。その理由は、保障は客観的な事実であると同様に一つの精神状態であるからである。保障を享有するためには、給付が必要な場合に利用しうるという確信が与えられねばならないし、保障を与えるためには、保護が量・質において充分なものでなければならない。

 以上の如き条件はいづれも、社会的危険に対して保護を与える社会の古い形態である救貧制においては実現されていない。というのは、救貧制は原理的には地方社会の義務とはなつているが、個人に対する権利とはなつていない。そしてこの場合において救済の必要、その内容や範囲についての唯一の判定者は地方政府当局であつて、申請者は僅かな諸国の例外はあるが上級当局に上告することができない。事実、救貧制においては多くの場合質的に極めて不充分である。その理由は地方政府はいくたの種類の給付制度を実施するには基盤が小に失すること、また他方において救済の量はそれぞれの地方社会における政治の偶然性と富に依存するからである。

 以上の如き救貧制の欠陥を矯整し、欠如している社会保障を少くともある分野において供給するために、社会扶助と社会保険の二箇の接近方法が発見されたのであつて、現在この方法が採られつゝある。

 社会扶助或は社会保険についての定説は現在ないが、一定の制度についてはそれがいづれの範疇に属するかについては一般的に見解が一致している。デンマークの無醵出年金制度とドイツの賃銀労働者の年金保険制度は、それぞれ社会扶助と社会保険の古典的事例である。両者の類似点と相異点を考察すればこの二箇の接近方法の中心的性格が明らかになるであろう。両制度とも僅少資力の人々を対象としている。デンマーク制度においては年金申請が行はれた場合にはミーンズ・テストを行い、ドイツ制度の対象とする領域は所得がおおむね僅少な労働者に限定されている。両者とも数理的法則に従つて算定された年金を権利として支給し、それは準訴訟的手続によつて実施される。デンマークの年金においては、合計して最低生計費となるように、一定の免除水準以上の個人の資産に対し調整せしめられるが、ドイツの年金は少額の固定補助金に対し各個人が支払う醵出額に比例するような追加額を加えたものから構成されている。デンマーク制度のコストは国家と地方政府の一般税收入によつてまかなはれ、ドイツ制度においては共同醵出を分担する被保険者と雇主が一部をそして更に国家が一部を負担する。従つてこれらの制度の重要な相異点は、年金の算定と基金調達にあたつて個人の節約心を萎縮せしめないで、かなりの資産を有する人々を給付から除外する技術に関したものである。これらの事例から一般的に次の如く結論しうるであろう。即ち社会扶助制度は、最低標準の必要を満すに足る額を税歳入によつて賄う方法で少所得の人々に権利として給付を支給するものであり、社会保険制度は、披保険者の醵出努力と雇主ならびに国家の補助金を合した額の給付を少所得の人々に権利として支給するものである。

 以上の如き叙述は社会扶助と社会保険の純粹形態の特質を充分に明らかにしている、しかしこのような定義はあまりに詳細であるため、一方の極にある救貧制と他方の極にある厳密な数理的公正に基いた私的保険を含む社会的危険の集団的負担の極めて多くの形態を、それぞれの本来の範疇に分類することは困難である。例えば、産業災害においては被保険者は醵出しないけれども通常社会保険の一部門とみなされるし、全く税歳入によつてまかなはれる出産給付制度はたとえそれが資産に関係なくすべての婦人に与えられるとしても一種の社会扶助とみなされる。従つて受給者の醵出も或はミーンズ・テストも社会保険或は社会扶助のそれぞれの特質であるとはいえない。要するに、これらの集団的危険負担の二箇の形態を区別しうる唯一の基準は、給付支給の条件として、将来の受給者或は彼の名において、給付を支出する基金に対する醵出支払要件の有無である。しかしこの要件といえども絶対的なものではない。ソヴエート連邦の社会保険制度や多くの諸国における労働者補償制度においては、課せられた醵出が支払いえなかつた場合においても披保険者の受給権は影響を受けないことが明らかに規定されている。

 社会扶助と社会保険の性格を開明するためには、これを傾向として即ち志向された動向として考察することが有用である。社会扶助は、救貧制から社会保険の方向における前進過程であり、社会保険は私保険から社会扶助の方向における前進過程である。

 社会扶助の進歩は、給付の改善・困窮概念の拡大・扶助受給に伴う倫理的汚名の剥離にある。これらの三つの目的はすべて、困窮者の主要範疇のそれぞれの救済或は困窮の主要原因のそれぞれに対する闘争のための専門の制度の創設によつて達せられる。専門化ということは、それ自身の分野における效率を求め、量質における適正を目的とする狭隘な制限を設けないでかかる給付を個人的に取得しえないすべての人々に奉仕する、救貧当局から明確に分離して貧困に対して建設的な人間的態度を表徴する管理制度を意味するのである。現金給付が問題の対象となつた場合において、社会扶助進歩の一つの主要指標は、額の決定に際して自由裁量に代えて規則をもつてすることと、その結果としての一定額に対する権利の発生である。現物給付やサービスについては事情は異なる。この場合においてはその量と質とは常に殆んど行政当局の自由裁量の領域内にある。しかし、これらの改善は豊かな果実をもたらすものであるけれども、経費が高くつく。社会扶助制度は予算支出に支配されるのであつて、これはある諸国では極めて不規則となる傾向がある。そこでこの制度に対して独立歳入の充当が強く要請される――おそらくそれは新税が要請されるのであつてこれはその目的がより充分に理解され承認されるに従つて容易に受け入れ易くなるであろう。

 社会保険の進歩は、その保護人口の絶えざる拡大、対象とする危険の領域の拡張、給付の量・質に関しては保険数理的公正よりも社会的妥当性に対する考慮にある。国家或は雇主の補助を受ける任意保険が社会保険の一種であるかどうかは今日尚未定の問題である。いづれにしても、任意保険は效率的な社会保障制度において第二義的役割を果すにすぎないことはたしかである。最近に至るまで、社会保険の可能的領域は被用者とその扶養家族――産業国家においては人口の大半を占めている――に一致していたが、現在この制限を更に超えつゝある。事実、ある諸国においてはすべて市民が、少くとも年金保検については、被保険者の隊列内に含まれるに至つている。社会保険を社会保障制度の主要素としている諸国においては、給付の資格条件は緩和されており、給付の最低率は強化され、より広汎な給付が被扶養者のために行われている。被保険者の支払う醵出が累退税の如くより貧困なる醵出者により過酷に負担がかかると共に他方において雇主醵出が雇用に対する税であると理解される限りにおいて、低所得層の人々の必要を満すための給付の改善と給付の調整は主として国家の負担に帰せられる。

 今日における発展を正しく判断するならば、社会扶助と社会保険は絶えず相互に接近しつつ動いていることが理解されるであろう。長期の進歩の頂点においてこの両制度は相合して結合し遂にニユー・ジーランドやデンマークにおける如く社会扶助と社会保険のいづれが支配的か判断しえずただ国民的な社会保障の制度を有するにすぎないといいうるに至るであろう。


    B 機能の配分


 すべての社会的危険――労働能力の喪失、就業の機会を見出しえないこと、医療の必要性等――に対しては、社会保険或は社会扶助のいづれかによつて保護することができる。しかし、実際においては、ある危険は通常保険によつてカヴアーされ、他の危険は一般に扶助の特殊の領域とみなされるが、他方において第三の危険のグループについてはその国の状勢に従つていづれかの方法が適切なものとして通用される。現金給付と一般医療サービスは保険の方法によつて行はれることが多く、一定の現物給付形態については扶助の方法が選択されるといえるであろう。

 過度の申請と共同基金の非良心的な濫用の憂のある場合には常に保険が採用される――たとえ保険においては危険の包括領域が多少とも狭小であるとしても。現金給付を喪失賃銀に比例せしめる場合にはまた保険が採用されねばならない。産業上の災害や疾病に関しては、伝統的な強固な雇主責任主義のために扶助の問題は未だかつて生じたことがない。疾病の一般的危険は常に保険によつてカヴアーされるのであつて、ここにおいてもまた伝統が決定力をもつている。そして開業医との契約規定をもつ任意保険に適切な形態が強制保険に移行せしめられていつた。年金特に老令者に対するものの場合においては、保険と扶助のいづれを選択するかは決定が困難であつた。再びデンマークとドイツのモデルについてみると、デンマークは主として農民人口――そこでは老令者は正常な比率を占めていた――を主として考慮していたし、ドイツは新しい階級である産業の賃銀労働者――生涯の労働生活の期間が殆んど将来に残つている人々を念頭においていたものといいうるであろう。現在の必要という緊急的な問題を解決するという事実は別として、無醵出年金がはるかに容易に採用されたのである、その理由はその支払を行うべき事情がかなり容易に確認できたことである。しかし、大部分の諸国は年金保険をとつた。この制度においては長期的な財源上の計画が立てられ、その年金は個人の醵出実績に関連せしめられた。失業者については、不幸にして、主人を失つた人に対する伝統的な嫌悪の思想の一部が承継された。そしてただ全くいやいやながら公共基金から彼等に給付が支払はれたにすぎないのである。失業扶助の諸計画は三十年代の初期に改善されたのであるが、それは少くとも防衞の第一線として保険計画によつて代替されつゝあり、ないしは既に代替されてきたのである。

 社会扶助は、主としてその活動を、公共の関心の著しいそして同時に濫用の機会のない領域のサービスに限定されてきた。重要な事例としては、総合病院・精神病院・結核療養所や施薬所・性病治療所・母子福祉センター・学校保健サービス・職業安定補導機関等があげられるであろう。これらのサービスはすべての希望者に対し同一の条件の下に供給される、しかしそのコストに対する醵出は多くの場合充分の資力を有する人々から徴收される、特に入院治療の如き高価なサービスに対しては。ある諸国では、税收から補助或は全額税收によつて維持される一般医療サービスが農村人口に対して行はれている。

 一国の社会保障制度は、その社会保険と社会扶助の制度の雑合体で構成されている。この制度が、適用される人と危険について普遍的となつている国は極めて少い。その不完全性は、両者の要素の性質自体から生ずる。保険制度は仮説によつて、一定の厳密に規定された条件の存する場合にのみ給付を支給しうるのであつて除外されたケースについては救済の方法がない。我々の知る如く、社会扶助制度は特定の保護を必要とする一定の範疇の選択に基いたものである。これらの範疇は、救貧制の領域内から或はむしろ救貧制の無能力のために一つづつ除去して移管されたものである。社会扶助は異例的なケースに対する適応性において社会保険よりも弾力性をもつてはいるが、ある種の事故は特定の制度が樹立されているすべての範疇の限界外にはみでることとなる。

 取り残りされる困窮は減少していくが、これは救貧法にまかされることとなる。これには「価値ある」貧困("deserving" poor)と「価値に値しない」貧困("undeserving" poor) とがある。前者は、社会保障制度の不完全のために存在するものであり、後者は未だ充分に明らかに診断されるに至つていない原因に基くもので部分的には全体としての社会の責任に属するものである。社会保障制度の間隙を通じて「価値ある」貧困は避難の場所を失うが、しかし救貧法の開放的な包容性のある門も遂次閉鎖されていくであろう。救貧法は、「価値に値しない」人々――浮浪者、放浪者、性格上の欠陥をもつ失業者――に対してはこのグループのためのケース・ワーク制度が発達するに至るまではその旧態依然たる消極的性格をとどめることであろう。


    C 調整と統合の事例


 各国における現在の社会保障制度は、統一的な計画に従つて設定されたものではなくて個々的に樹立されてきたものであることは事実である。ソヴエート連邦の如き全く新しい原理の上に再建されたような社会は別として、このような創設過程は当然のことであつたであろう。しかし、統一的な計画性が欠如しているとしても、新しい一箇の制度の創設が考慮されるに至つた場合には現行諸制度に対しては常にかなりの顧慮が払はれる、それは最も基本的な形態における調整である。しかし、調整は、周辺の諸制度の法的規定が相互に調和せしめられ管理上の連関性がそれらの間に樹立されるに至るまでは、いぜんとして非能率、非組織的たるにとどまるであろう。この有機的協力の過程に入る場合には次の問題が不可避的に生ずる。それぞれの間に配分された関係諸機能を遂行するために二箇(或はそれ以上の)制度が必要でありないしは公共の利益の点で便宜であるか、或はこれらの制度の統一が一般の利益になりうるか。その回答が諾であつて活動が行はれるとするならば、その結果は統合である。調整と統合の問題は、社会保険制度と社会扶助制度との間におけると同じく社会保険制度間や社会扶助制度間においても生ずるのである。このような問題が提起されるに至る事情はその種類において無限である。調整の諸困難は、ただ部分的には一つの困窮の範疇と他の範疇をなんらか任意の点で区別することの必要性によるものである。更にまたそれは、周辺の諸制度の基礎的観念の相異とこれらの制度の関係を調和せしめんとする基本的再組織の理論的根拠に対するこれらの制度の抵抗によるものである。以下において、調整ないし統合達成の事情や方法について多少の事例を示してみよう。

  (1) 保険制度間の調整と統合

 すべての社会保険部門が所得の喪失に対する補償を与えるものである以上、いくたの保険制度のカヴアーする諸危険間の間隙を廃除し、異なつた制度の下に同時に要求権が生ずる場合に二箇以上の給付を支払いうる範囲を決定する規定を確立しておくことが便利である。このような諸問題は、労働能力喪失の如き場合において最も重要である。災害保険と疾病保険における如く、これらの問題は通常疾病を、災害保険の下に補償されない一時的廃疾として規定することによつて解決される。しかしいくたの欧州諸国(ソヴエート連邦を含む)においては、この問題は、疾病給付を一時的廃疾についての災害給付と同一視することによつて解決されている。災害保険と年金保険との問には著しい間隙が存在する、というのは後者においては年金の支給に対してはるかに厳格な肉体的その他の条件が課されているからである。おもい廃疾・老令や死亡の場合には重複が生ずるし、国民的な制度は、このような事情については異なつた政策を示している。ある諸国では両者の制度の下に年金は完全に支給され、またある諸国では受給者は完全な災害年金と彼の醵出年金の一部を受領する。

 社会保険の異なつた諸部門の医療給付の調整は、主として医療施設の重複をさける問題である。災害保険と疾病保険の医療給付に関しては、それぞれの危険をして他の危険を除外するように限定しておくならば権利の重複は生じない。しかし医療組織の重複が生ずる可能性がある。災害補償の責任は通常雇主個人にあるが、その場合においては災害事故の処置についてはなんら特殊の組織が存在しない、だから勿論重複は生じない。しかし、災害危険が社会保険の一部門によつてカヴアーされる場合には、医療についてなんらかの形で体系的な処置が行はれねばならない。例えば、ドイツにおいては災害のぎせい者は疾病保険の医療給付――それが充分にして適切なものである限りにおいて――を受ける、しかし災害保険が、可能なる限り最善の治療を行う手段と意思の両者をもつている以上それ自身の特殊サービス――それが指示された場合において――によつてその医療給付を補完するのである。ドイツやその他の一部の欧州諸国においては、多少とも同様な調整が、疾病保険の医療給付と、年金保険制度がその自由裁療をもつて廃疾防止のために供給する特殊の処置形態との間に、確立されている。年金保険は著しい廃疾を招くような結核の如き疾患に対して完全責任をとることさえできるであろう。チエツコスロヴアキアが始めて採用した計画における如く、疾病保険基金が年金保険を管理する中央機関に従属する場合においては、疾病保険と年金保険の医療給付は全体の重要な一部分となつている。ルーマニアにおいては、疾病・災害・廃疾に対し共通の医療組織さえあるのである。

 それぞれの領域の限定にあたつて同一の方式を採用することによつて、社会保険の各部門はそれぞれの管理機構や雇主の醵出支払ならびに被保険者の権利実行の手続をかんたん化することが可能となるであろう。単純化は、特に醵出の徴收について明瞭である。多くの諸国(チリー・チエツコスロヴアキア・フランス・英国・ペルー等)においては疾病保険と年金保険の醵出は単一の金額として徴收される。ポーランドやルーマニアにおいてはこれらの二箇の部門と災害保険に対しても同様に醵出は一本に総括されている。徴收後においてこの包括醵出は法の規定する比率でそれぞれの制度或は勘定に配分される。いくたの管理部門があつて、そこではそれぞれの異なつた保険分野が、中央政府当局――すべての部門がこれに従属する――統制する共通のサービスを使用する。この共通のサービスには紛争解決裁判所や社会保険問題の研究(ポーランド・ルーマニア・アメリカ合衆国)が包含されている。

  (2) 扶助制度間の調整と統合

 社会扶助の行う保健サービスは、大部分の諸国では、地方当局によつて管理され、特に個人治療や専門職員の雇用の如きサービスは通常都市、郡或は州のような上級地方当局によつて供給される。後者は一般に一箇の保険局をもつており、医学・衞生の分野におけるすべての公共活動はここに統合されている。社会扶助による現金給付は主として無醵出年金から構成されており、これは大部分の詣国では国家によつて管理されている。扶養や初歩的な医療の形態における救貧の責任は中小の地方当局の管轄に属しており、地方議会の一委員会を通じて逐行されている。

 同じ地方における救貧当局と保健当局の間の調整は、明白な文法上の原理に従つて決定される単純な財政上ならびに行政上の処理事項である。ある諸国たとえばベルギーの如き国においては、保健サービスと救貧は地方当局の同一局で管理されている。

 無醵出年金の大部分の制度においては、受給者の医療上の必要についてはなんらの規定も設けられていない、この場合受給者はその他のすべての同じ経済的身分の者と全く同じ条件の下に与えられる保健サービスを公然と受けられる、もつともオーストラリヤ・英国・フランスの制度においては年金受給者は入院治療を受けてもそのために年金率を減少せしめないことを明白に規定している。合衆国においては、養老年金や母年金に関するいくたの国家の法律によつて年金当局即ち国家の公衆衞生所管部門は年金受給者に医療を与えることができる。

 各種の形態の無醵出年金制度――老令者・廃疾者・盲人・扶養児童に対する――が実施されている諸国においては、それは国家の同一部門によつて管理されている(丁度年金保険における如く、同じ機関が廃疾・老令遺族年金を管理している)。

 英国においては、一つの形態の養老扶助がもう一つの形態に積み重ねられるという奇妙な事態の発展をもたらした。いづれも国家のサービスであるが、行政的には全く無関係のものである。しかしこれはその歴史的背景に照してみるとこの態勢は理解しうるであろう。無醵出養老年金なるものは、その創設の一九〇八年の時においてもまたその後被用者階級の保険制度において具体化された一九二五年においても、扶養に充分なものたらしめんとするような意図は全くなかつたのである。その理論は、このような制度は、その場合に応じて個人の節約或は救貧制によつて補充されるべき実体的基礎となるべきものであるとする。現在養老年金受給者の大部分は被保険者としての資格においてミーンズ・テストを受けることなくして年金を受領しつゝある、そして一部少数のもののみがミーンズ・テストによる社会扶助の形態で年金を受領しているがその数も減少しつゝある。一九四○年に、老令者を一箇のグループとして救貧制の依存から脱却せしめることに決定された。そして主として被保険者の年金補充のためと、附随的にではあるが無醵出年金愛領者にも同じ利益に浴せしめる目的のために、老令者扶助の国家制度が導入された。いまや補足的年金の目的はすべての老令者に最少限の生活を確保することになつた。しかし失業者のための同様な機能逐行の失業扶助の国家制度は既に存在していた。後者は、失業扶肋制度の斉一的適用のための精密な規定と政策を樹立し、申請の審査と給付支払に必要な地方機構をもつていた。以上のような事情の下においては、養老扶助を無醵出年金によりも失業扶助に結びつける方が好都合であつた。事実、養老扶助と失業扶助は国家扶助庁の掌中に統合されるに至つたのである。

  (3) 保険と扶助制度間の調整と統合

 一箇の社会保障制度の創設は、いづこにおいても、社会保険と社会扶助が同時に使用される漸新進的な過程をとつている。そして一定の目的に対する方法の選択は国民事情に対する適否によつて決定される。究極目標は完全にして継統的なサービスの供給にある。サービスの領或はその排列において間隙或はその重複が生じてはならない。

 多くの諸国においては、社会扶助は社会保険の補助部門となつている。それは、保険制度が供給しない必要な現物給付を支給し、資格条件を充足しえなかつたり或は権利を消費してしまつた時に保険給付の代りとなり、保険の現金給付が個人の必要も満さないような場合にこれを補足する等の機能を果さねばならない。これらの目的を逐行するためには、保険と扶助の間における調整が、機能の計画と取わ極めの細部の両者において必要である。しかし、調整は、それぞれの制度が管轄する分野を一般的に指定するにとどまることがしばしばある。

 社会扶助は主として保健サービス即ち病院・療養所・母子福祉センター等の如きに関連したものである。大部分の諸国における疾病保倹は施設の供給について公共病院と契約を行つている、しかし公共病院が不足する場合には社会保険制度は――ペルーが顕著な事例を示している――その加入者のために病院を建設することがある。ソヴエート連邦とアイルランドの二国においては、医療サービスの保険は存在しない、保険機関は被保険者の治療のための医師の雇用もまた公衆衞生当局とのそのような契約をも行つていない。しかしその他の人口のグループと同葉に被保険者はこれらの国の公衆衞生当局が供給する医療サービスを無料で利用するのである。保険機関は、無能力の証明や安静療法の如き一定の補足的給付の支給等の活動に限定されている。しかしこれら二箇の無料医療サービスには著しい差異がある、即ちソヴエート連邦の制度においては一九三七年以降その資力のいかんにかかはらずすべての人々が利用しうるに反しアイルランドにおいてはその必要とする治療に対し支払いうる者のみが利用できるにすぎない。

 ソヴエート連邦の社会保険制度は、年金保険の適用において社会保険と社会扶助組織間の合作についての独特の例証を提供している。一九三七年におけるその制度の再建の一特質として、廃疾・老令遺族年金に対する財政的・行政的責任が保険機関即ち労働組合から国家の社会扶助委員会とその地方機関に移管された。従来の如く、年金は個人の逐行する仕事の性質、雇用期間、過去十二ケ月間中における醵出支払の基礎である平均賃銀等に基いて支給される。保検醵出が企業によつて全額支払はれていたために移管は容易であつた。というのは後者は公有であるから、年金のコストを企業経費の負担として処理すべきか或は国家と地方予算の負担とすべきかは本質的には帳簿上の問題である。移管の目的の一つは労働組合の社会保険諸機能を単純化することにあつたように思はれる、それでそれは各企業における選挙された委員によつて效率的に逐行されるに至つた。これらの機能は、現在は、一時的廃疾に対する現金給付の策定、保養所や療養所の被保険者やその子女の扶養、廃疾証明の照合、公衆衞生当局の適切な医療や社会扶助当局の年金受領についての被保険者に対する指導に限定されている。

 保険給付に対する代替物としての扶助給付の支給は、老令保障の分野において最も顕著に例示されている。フランス・英国・合衆国においては、保険に加入していない人々或は加入しているが醵出年金に対する資格条件を満しえない人々についての無醵出年金がある。

 疾病保険と失業保険の給付は、規定された最大期間についてのみ支給される。従つてそれ以降は、大部分の諸国では、患者は廃疾保険の対象となり、失業者は救貧制に依存せねばならない。デンマークでは、一般の慣例に反して、疾病から廃疾え自動的に切り換えられない。廃疾年会の支給はむしろ最後の手段であるというべきであつて、永久廃疾をもたらさないと予想される場合においては地方自治体の負担で疾病基金によつて疾病保険給付を扶助給付として継続せしめることがむしろ望ましいであろう。英国は、全賃銀階級が失業の場合においては失業が継続する限り保護が与えられる極めて少数の国の一つである。二六週間の保険給付を全部受領し尽した被保険者(と、同様に保険に加入していない賃銀労働者の比較的少数のグループ)は、その家族責任と資力――そのうち戦時貯蓄を含む一定の項目は除外される――を考慮して調整された扶助給付の受給権をもつている。失業扶助においては(また既に論及した補足的養老扶助においても)、その目的は、家族の大きさ・個人の資力・適切な給付率に関する極めて詳細な表を規定することによつて、一定率の給付を意味する権利としての扶助の理念を、その個人の最低必要をまかなうものとしての扶助の理念と調和せしめることにあつた。

 社会保険と社会扶助を単一制度に統合することは、被保険者にとつての簡明さと保障の点ならびに管理上の節約の点において有利である。統合に対する主たる障碍は、多くの範囲において保険の分野が被用者に限定されているのに対して扶助の分野はそのサービスを必要とするすべての人々に拡大支給されるということである。しかし、保険の分野が全国民的となつてすべての成年及びその子女を包容するに至つた場合においてはこの障碍は解消する。

 スエーデンの国民年金制度においては、被保険者の醵出記録に基いて年金が支給され、困窮に陥入つた場合にはミンズ・テストによつて補足される。

 社会保険と、保健サービスを行う社会扶助制度との、単一の国家的管理の下における統合はチリーにおいて完成されているようである。現在までの所、社会保険制度は調剤と家庭内サービスに対して、国民福祉制度は病院サービスに対して責任をもつていた。しかし震災地域における緊急救済計画の実施においてえられた経験は、処置の継続性と職員・施設の節約の点において責任の不分割による利益を明示した。そこで現在保険と扶助の制度はその財源をプールして単一の国民的医療サービスを創設し、同時に強制保険の領域を拡大してすべての資力の少ない就業者にまで及ぼすべきことが提案されている。デンマークやニユー・ジーランドにおいては、広汎な領域の保健サービスを供給する国民保険制度の存在は、病院の独立性の破壊も、医師の俸給制による登録をも必要とするに至らなかつた。デンマークにおいては、医療給付と病院給付は疾病基金と医師・病院の間の契約によつて供給されるのであるが、ニュージーランドにおいては社会保険基金は病師と病院に対してそのサービスにつき法的比率に従つて支払をする。

 従前の無醵出年金である養老年金は、英国やデンマークの社会保険制度において、その他の醵出年金と統合されるに至つた。(第一章参照)。英国の社会保険制度は被用者に限定されているが故に、無醵出年金制度は非被険者の保護のために維持されてきた、しかしデンマークにおいては、すべての成年は疾病と廃疾に対し保険加入を要求された、そして養老年金は事実保険されている人々に対してのみ支給される。

 ニユー・ジーランドの社会保障制度は、養老・廃疾・遺族年金、失業給付と家族手当を供給する一連の社会扶助制度を結合し更に疾病給付やすべての形態の保健給付を加えて、樹立されてきた。この国のすべての永久居住者はこれらの給付に対する権利を有し、すべての人は所得の五%の比率で特別醵出を支払はねばならない。制度のコストの約三分の一は一般歳入から支出される。現金給付の大部分はミーンズ・テストに従つて支給される、しかしこれは非常に高いので中産階級にのみ影響を及ぼし、富有階級のみが除外される。現金給付は当該稼ぎ手の被扶養者の数につて異なるが、従来の所得にはなんらの関係もない。保健施設は資力に関係なくすべての人々が無料で利用することができる。

 明らかに、ニユー・ジーランドにおいては我々は独特の斬新な性格の社会保障制度に直面するに至つた。それはすべての市民とその披扶養家族に対し、その生計を脅やかす緊急事態に際し、最低生活を、更に完全な保健サービスを確保するものである。すべての経費は、主として醵出によつてまかなはれる社会保障基金から支出される。醵出は所得に比例するが、現金給付は必要に従つて異なつてくる。この制度は、社会連帯思想の極めて典型的に具現したものである。それはなんらかの通常の基準による保険制度ではない。私保険においては醵出――給付関係の中に均衡がなければならない、個人は保険加入にあたつてその会員の代表する危険が同質的な適切なグループに割りあてられて、それに相応する醵出を支払う。しかし、保険が出生に際して個人に給付支給を開始し、成年に達した時始めて醵出を課することは何を意味するであろうか? その場合、相続と環境に基くすべての小平等はあらかじめ考慮外におかれ、醵出はすべての個人の平均危険に対応することになる。そして衡平の原理は確保される。

×        ×         ×

 社会保険と社会扶助の、社会保障という凝聚的制度えの統合についての上述の如き例証をもつて本論を終りたい。戦後再建における社会保障の役割の考察の序論として、本論においてはその課された限定された目的にとどめ、あえて事実の領域――経験によつて実行の可能性のテストされた制度の領域――外にわたることをさけてきた。

 人間の人格尊重に基いた文明と自由の防衞のために連合した諸国民の運命に対し責任を有する政治家達は、戦後政策の第一義的目的の一つとして社会保障をあげている。我々の検討によつて、多くの諸国は計画ないし秩序に多くの考慮を払うことなく、社会的必要を賄うべき責任を極めて多くの機関に分散せしめていることを知ると共に、我々は保障を必要とするすべての人々に合理的な保障を供給する制度樹立のために尚今後行うべき事項の方法を示してきたのである。

 本研究においてはその性質上社会保障政策の包括的検討を行はなかつた。困窮の発生の組織的防止を通じて、社会的非保障の諸原因を廃除することにより、また防止の目をもれる緊急事故に対して量・質の面において適切な給付の供給を通じて明日の不安を除去することにより、社会の構造の強化と改善が計られねばならないことを考察するだけで満足せねばならない。

 雇用の促進とその高水準維持、国民分配分の増加とそのより公平な配分、栄養と住宅の改善、医療施設の拡充、一般教育ならびに職業教育の機会の拡大等のための手段を含むより大きなプログラムの一部としてのみ社会保障は計画しうるのである。雇用の拡大と家族負担を考慮に入れたかなりの生活水準の必要物を取得しうるような所得分配を促進する経済的調整によつて、社会保障サービスは強化される。このような調整は社会保障サービスの財源調達を容易ならしめる。というのは生活と労働の状態の改善は社会的・産業的危険の頻度と悪化を軽減するものである以上、このような調整は給付支出を限度内に抑制するのみならず減少せしめる傾向を有するからである。しかし、最も遠大な調整と最も積極的な防止策をもつてしても、失業の危険ならびに疾病或は傷害に基く労働不能や老令・稼ぎ手を喪つた家族の被扶養状態を、全くなくすることはできないであろう。戦後経済に対する社会保障サービスの計画の序論として、経験によつて示された重要な資料と発展の現在の段階を一べつすることが不可欠でないとしても必要であろう。本論執筆の目的は緊急調査の必要性に基くものであつた。




 文章は「社会保障資料No.11 社會保障への接近 ―I.L.O.研究報告書―」(厚生大臣官房総務課 昭和二六年一二月発行)より全文を引用しました。
 ILO, Approaches To Social Security, 1942 の全文について、『社会保障への途』の表題で、一九七二年三月 社会保障研究所発行「社会保障研究所翻訳シリーズNo.10」の第1部に、塩野谷九十九氏訳のものが載っています。
 APPROACHES TO SOCIAL SECURITY - AN INTERNATIONAL SURVEY 【原典】
 <http://www.ilo.org/public/libdoc/ilo/ILO-SR/ILO-SR_M18_engl.pdf>
 二〇一〇・六・二四 登載
 【参考資料集】


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