ひとりごとのつまったかみぶくろ
ボーイスカウト実践記


 別稿の「ボーイスカウト研究」には、主に理論的なことについて記した文章をまとめました。こちらには、私の経験や実践について記した文章をまとめてみました。画像データなども組み込もうと考えていますが、それについてはしばらくお待ちください。(メモリの関係で、はたしてできるかな。)


 班長会議の実践とその成果
 創作活動の実践とその成果
 私の隊における「進歩制度」の運用について
 ボーイスカウト運動の現状の諸問題



班長会議の実践とその成果


 前回の「ボーイスカウト教育の理解のために、その2」で、ボーイスカウトでは、子どもたちの健全な自発性を育てる教育方法として「班制」( Patrol System )を採用しているんだ、ということを知っていただけたと思います。

 「班制」は、一口に言って、「少人数の永久のグループ」であって、それは「一人の指導児の責任の下に在る」という制度です。(1)

 しかしながら、日本連盟の教育規定とあいまって、班の活動を重視するボーイスカウトのこれらのスタンスについて、よく、「絵に描いた餅」と評されることがあります。

 実際、不用意な形でこの「班制」を私たちの隊の活動に適用させたらどうなるでしょうか。少なくとも、社会に対して責任を持つ指導者としての私は、その責任を維持するためにも、この「班制」のそのままの形の適用は強く拒みます。(この適用は尚早だという意味でです。)

 つまり、「私の隊の中に、班を健全な形でリードできる能力を有する少年は、まだいない」「指導者としての私が、その責任を委託することができる少年は、隊の中に一人もいない」のです。そのような者の集団に「班制」を持ち込むことは、赤ん坊にナイフを持たせるようなものです。

 要するに、私たちの課題は、「班制」の完全な実施ではなく、まず、「班を健全な形でリードできる能力を有する少年」の育成、及び「私の責任を委託することができる少年」の育成であるわけです。

 この能力をもつ少年の育成は、私の感覚から見て、年々困難になりつつある感じがします。これも社会や文化の変化の影響なのでしょうか。

 私は、この課題達成の場として、すなわち「班長」育成の場として、昭和○○年度より、班長会議の制度を工夫した形で利用することにしました。以下、その方法と経過について述べることにしましょう。

 私は、班長会議を、次のように規定しました。すなわち、「上級班長が議長となり、各班の班長、次長の全員をもって構成する。会議は週に1回の定例とする。会場は、各々の家の持ち回り制とする。(当面の)班長会議の任務は、隊の行事の企画作業(立案から計画書作成、実施、反省まで)を行なうことである。」と。

 私は、その中で、子どもたちに対して、「一つの企画作業全体を、君たちでできることと、君たちではまだできないこととに分け、そのうちの、君たちでできることについてはすべて君たちで行ないなさい。君たちではできないことについては、それはどの点かを明らかにして、私に言いなさい。それについてはやってあげるから。」と言ってあります。もちろん、初めのうちは、班長会議に任せられること(君たちでできること)は少ないが、この領域を彼らの経験、結果を見て、徐々に拡大していこうというのが、私の計画でした。

 これを基本形として、昭和○○年4月の新班結成と同時に、新しい班長会議が発足しました。

 ところが、子どもたちが行なった初めての企画作業の様子は、次のとおりでした。

 …班長会議が軌道にのり、2カ月かけて一つの行事のプランができあがりました。「ゲーム大会(室内)」です。実施日が決まりました。会場も内容も予算も、さらに班長会議構成の各メンバーの当日の役割も決まりました。すべて自分たちのアイデアで作り上げたものでした。

 実施日が来ました。行事の開始時刻になりました。だのに、出席者は(隊員30名中)8人しかいません。班長会議のメンバーはたったの1名。各班の責任で用意してくるべきものは何もしてありませんでした。

 この日の行事が終わってから、私の方から、欠席したある隊員に電話を入れてみました。「そのような連絡は班長から来ていない」とのことでした。

 次の班長会議の日、この日のことを皆にたしなめましたが、頭をうつむかせたままで、誰ひとり「ごめんなさい」の言葉は出しませんでした。「君たちは、自分たちで決めたことさえできないのか。」と叱りました。…

 現代の少年たちは、自分たちで決めたことを行なう能力までなくしてしまったのでしょうか。

 その後、数回の企画作業を重ねました。その間に、上級班長の休隊、隊長の議長代行、班長の退団続出、上級班長の選挙、さらに再選挙、行事実施の断念…が続きました。(7月〜12月)

 でも、子どもというものは、本当に、すばらしい速さで変わっていきます。「こんなこと、できるはずがないじゃないか。」と思っていた子でも、次には、それができるようになっています。でも、それができるようになるか、できないままなのか、は、私たちが彼らに対してどのような行為を行なうか、ということにかかっているようです。

 先には、失敗した「ゲーム大会」の事例があげてあったわけですが、彼らとしても、いつまでも失敗を繰り返していたわけではありません。「新年会」(1/7)の企画には、私がかなり手を出したところがあるのですが、その後の「スケート大会」(2/25)、「ソフトボール大会」(3/18)においては、行事の遂行という意味では成功させています。次年度に入ってから、彼らによる企画として、「市民会館前の草取り」(4/22)、「合同班野営」(5/12・13)などは、当日もし私が欠席したとしても十分に行なうことができたぐらいの行事進行を成し遂げることができたのです。

 ところが、突然、問題が起こりました。これまで行事の企画の中心を担っていた中学2年生のSくん、Kくん、Mくんが、次々に「学業との両立が難しいので退団します」ということで、そこから去っていってしまう、という事態になってしまったわけです。

 私は、あわてました。「一年間の苦労と成果が無駄になってしまう」と。

 本人や彼らの母親たちに説得を試みましたが、ただ口頭の説明だけではボーイスカウト教育の有意義さを理解していただくことはできませんでした。それでは文章で。私は、お母さん方の理解を得るために、手紙を、全隊員の保護者の方に直接出すことにしました。そこでできあがったものが、小冊子「ボーイスカウト教育の理解のために、その1」です。

 しかし、これをもってしても、この事態を止めることはできませんでした。これのすぐ後には、夏休みの「夏季長期野営」(8/9から12)があったのですが、これに参加した隊員は、中学3年生は0、2年生はたったの1名、あとは野営のことについては何も知らない初級の1年生、小学6年生だけということになってしまいました。

 以上から、「夏季長期野営」前後より、班長会議の方針や位置づけ、週1回開会等の方法等は、修正せざるをえませんでした。

 (1)  ローランド・フィリップス著、ボーイスカウト日本連盟訳『パトロール・システム(班制教育) および班長への手紙 その1、その2』(1960年)8ページ



 「班長会議の実践とその成果」を読まれて、こんなことを思われたかもしれません。「ボーイスカウトの活動に、なぜ、ゲーム大会、スケート大会、ソフトボール大会等という“子供会”で行なうような行事を行なったのか」と。もっともです。私も、それらが、ハイキングなどの野外活動の類であったら、どれほどボーイスカウトらしい活動になったであろうか、と思ったものです。

 ボーイスカウトの指導原理の中に、「少年のニード(またはウォント)をつかみ、そのニード(ウォント)を達成させるという指導過程に、少年の意識と行動の発展する過程がある」というのがあります。

 私がボーイスカウトに入隊した当時のボーイスカウトの魅力は、やはり「野外活動」「(手旗などの)特殊技能」にありました。私は、そのようなことを一度やってみたいと思って、その場を求めるために、ボーイスカウトに入隊したという経緯があります。B−Pが言った「少年はキャンプが好きだ」…この命題は、私(たち)にとっては、真でした。それがそのまま私(たち)のニードとして設定することができたのです。普段の隊集会には不出席であった子も、夏休み前になると急に出席率が良くなる、という子が、私と同齢の隊員の中に数人いましたが、これは、B−Pの命題が、私たちの世代の者の少年時代にとっては、真であったといえるわけです。

 ところが、現在、私たちと係わっている少年たちは、「キャンプなんて面白くない」という意識が一般的のようです。(学校でも行なっているように、キャンプができる機会があまりにも増えすぎた、ということもあるかもしれません。) こちらから、少年たちに、「キャンプをやろうよ」と提案しても、それに乗ってこない。ここ数年のキャンプの参加率が50パーセントそこそこという事実は、いったい何を示しているのでしょうか。

 それでは、現代の少年たちは、いったい何が好きなのでしょうか。ゲーム大会、スケート大会、ソフトボール大会…これらは、皆、彼らが自分たちで選んで決めたものなのです。

 私には、「班長会議の確立」という課題があります。「野外活動」という、彼らが欲しない行事の企画よりも、「ゲーム大会」という、少なくとも彼らのニードに基づいた行事を出発点にするべきだ、という判断が、私にあったわけです。



 先に、「班長会議」の第1回目の企画作業「ゲーム大会」の取り組みについてとその経過を述べた文章を掲げましたが、次のことは重要なこととして補足しておきます。この日の出席者は、実際は、私が準備した別のプログラムによって、楽しいゲームのひとときを過ごしていきました。上に立つ子どもたちの失敗によって、次に続く子どもたちが犠牲になるということは、どんなことがあっても避けなければならないことであり、これは、社会に対して責任を有する私たち成人指導者の義務であるはずです。

 「夏季長期野営」についても補足しておきます。この野営は、子どもたちの自発性、という観点で観た場合、満足のいかない結果ではありましたが、それはそれ、キャンプについては豊富な経験を持つ(手前味噌ですが)私たち成人指導者の準備と進行、演出によって、その意味では楽しいキャンプが保障されたと思っています。私たち成人指導者自身も楽しめた行事ではあったわけです。

 併せて、成人指導者の上手な演出が、子どもたちに、「僕たちも一度こんなキャンプを計画してみたいな。」という気持ちを呼び起こすことにもなるわけであり、次のリーダーを育てるきっかけとして活用できたとも思っています。




創作活動の実践とその成果


 子どもたちの集団に、協力の結集点を設定し、そして皆が一団となって取り組む場を与えることは、その集団のチームワークを育てるのに、とても役立ちます。

 私は、これに創作活動を適用してみたらどうか、というアイデアを以前から持っていました。

 ちょうど12月に、「スカウト合同クリスマス会」(市内に、ボーイスカウト、ガールスカウトの団が、あわせて6個団ありますが、年に1回、それらのすべてが集う合同行事を行なっています。)がせまっていましたので、それを活用することにしました。「クリスマス会」の中で、各隊に、それぞれ10〜15分程度の出し物の時間が確保されていましたので、その時間をどのように利用するか…それを班長会議の議題にしました。

 子どもたちの討論の中で、「劇が良い」「皆が参加できる人形劇が良い」と話が進み、「ペープサートの人形劇」(音声はテープレコーダーから流し、紙で作った人形を舞台の上で演じさせる)に決まりました。内容は、当日みえる人の多くは小学生なので、小学校の国語の教科書に載っている「ごんぎつね」(新見南吉作)をシナリオに書き直す形に決まりました。(10/12・26、11/6・20の各班長会議)

 中学校の2学期の最後の試験が終了したその日から、夜、青年の家で臨時の隊集会が開かれました。「クリスマス会」までは約2週間。皆で役割分担をしながら、用具の購入、人形作り、動作の研究、声の吹き込み等、作業を進めていきました。その2週間の間に、そんな隊集会を5回開いたのですが、その後半には、出席率をほぼ100パーセントにすることができました。

 これをお読みのお母さんは、12月16日の「クリスマス会」に、出席されましたか。子どもたちの発表に対して、どのような感想を持たれましたか。お聞きできる機会があれば、と思っております。

 子どもの大人への成長の過程で、周りの人がその子の行ないの一つ一つに対して評価をするということは、とても大切なことであると思います。現状のボーイスカウト活動では、なかなかお母さん方等、周りの人々によって、その活動を評価していただける機会が少ないのですが、この「クリスマス会」のようなプログラムを増やして、もっと周りの人に見ていただける場を作るべき、と考えております。

 少年隊では、毎年3月の下旬に、「新入隊員との顔合わせ」ともかみ合わせて、一泊の舎営を行なっています。この日にも、子どもたちの創作が発表できるように、「班発表会」という催しを組み入れてみました。

 前回の「ごんぎつね」は、隊全体で一つの作品を作ったのですが、今度は、各班で作成するようにと課題を与えたわけです。前回は、隊集会の中で、私がかなりの指示、指導を行なったのですが、今度のは、班長の力量がためされるわけです。班長が上手な指導をしなければ、その創作は失敗してしまうことになるわけです。

 舎営の当日が来ました。「班発表会」の始まりです。舞台の前では、今年の新入隊員がそろって見ています。

 最初は、イーグル班とバッファロー班の合同の劇「エルスドンの殺人事件」。これは、「スカウティング・フォア・ボーイズ」の中で教訓物語として取り上げられているものです。これを題材にして、Tくんが、台本を書いてくれました。いろいろな小道具も用いてあって、長時間の練習がうかがわれました。

 次は、コンドル班とオオカミ班の合同で、研究発表「ベーデン・パウエルについて」と「面白いロープの結び方」を発表してくれました。ボーイスカウト運動の創始者であるベーデン・パウエルについて記された文献は少ないのですが、どこからかそれらを手に入れてきて、わかりやすくまとめてありました。ロープ結びについては、去年の秋に地区で行なわれた「グリンバー・キャンプ」の時に教えてもらった、とか、船舶を扱う人々が用いる専門書を研究した、とか言っていました。



 これらの実践を通して自覚したことですが、「たとえそれらが作為的に設定されたものであっても、班長会議による企画作業や隊員全員による創作活動を数多く行なっていく過程のうちに、(失敗、非難、批判、叱責、再度挑戦、成功、称賛をとおして)、『あらゆる企画は、それを享受する人々に対する責任の維持の上にあり、われわれはその責任の重みを自覚しなければならない』という観念が、子どもたちの心の中に育っていくのではないか」ということが、私が期待するもっとも大きなものです。

 どうもありがとうございました。

  《「ボーイスカウト教育の理解のために、その3」(1980.4.28)から》





私の隊における「進歩制度」の運用について


 私の隊では、「進歩制度」の運用において、連盟発行の「進歩記録帳」の記載事項とは、多少異なった運用の仕方をしています。

 私の隊での運用の状況について説明します。

 1.進級章、特修章課目(細目)の修得について、その修得の方法を次のように分類しました。すなわち、自分が属する班の班長または隊の指導者、または自分の親のサインを受けるもの…A、班長会議の審査で認めるもの…B、原稿用紙にレポートを作成して隊長に提出するもの…C、その他特定の人に認めてもらうもの、です。

 2.各級の進級課目に、「作文」を加えました。その作文のテーマは、自由で、「初級」をとるためには原稿用紙に2枚以上、「2級」のためには同5枚以上、「1級」のためには同7枚以上、という条件を設けています。(最近提出されたもので、初級のS君〔小6〕が書いてきたものを、参考として添付します。…※1)

 3.各班長は「班長ノート」(…※2)を所持し、絶えず自分の班員の進歩をチェックさせるようにしました。そして、班長会議のごとに、隊の台帳と照らし合わせるようにしています。

 ※1…S君の作文から

 S君は、「国際児童年とは何か」というテーマを設定したあと、最初に自分の考え(予想)を述べています。すなわち「国と国などが、協力し合って、児童のことについて、何か行なう」と。しかし、これはあくまでもS君のこれまでの人生経験のなかで得たすべての知識の中から答を予想したにすぎません。(実際、現代のテスト主義教育では、ここまでの過程しか指導しない。) 要するに、ここでS君が予想したことが、本当に正しいのか、これを検証、調査する過程が必要のはずです。

 S君は、それを行なっています。彼は、まず母親に聞きました。そしてその助言から、“新聞を洗う”ということを気がつきました。彼は、母親の協力に助けられて、三つの記事を手に入れることができました。彼は、最後に、この三つの新聞記事から、一応客観的な結論を導き出しています。彼は、自分が行なえる範囲で、自分が設定したテーマの答を導き出したのです。何とすばらしいことではありませんか。

 しかしです。もし、このS君が、ここまでの結論を導き出したあとで、たとえば私が、「児童権利宣言」の一言と、図書館や百科事典等の活用という助言を行なったならば、彼の、「どうしても、知りたくて、しようがなかった」その気持ちで、さらに深い学習ができたのではないかと、今になって悔やまれるのです。

 S君は、この原稿用紙5枚の文章を作るために、かなりのファイトを燃やしたはずです。このファイトを燃やす手助けをする、このファイトをいつまでも持続させる…そのための援助をしてあげようというのが「進歩制」の原理であり、私たち指導者としてのあるべき姿であると、私は信じます。

   1979.2.26


 [ 1997. 1. 5 登載] 

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