ひとりごとのつまったかみぶくろ


新しい障害福祉サービスを拓く



  はじめに
  私のボランティア活動の遍歴
  ふれあいハイキング
  ピアグループ支援ボランティア
  在宅障害者の実態
  保健所での勤務から
  家庭訪問活動での試み
  新しい障害福祉サービスを拓く




 はじめに
 私は昭和30年生まれの男性です。社会福祉系の大学を出ました。民間での就労の時期もありましたが、後に社会福祉職員として県に採用されました。教護院教護を皮切りに、精神科病院PSW、保健所と精神保健福祉センターの精神保健福祉相談員、生活保護ケースワーカー、児童福祉司、障害者支援施設支援員等に従事しました。仕事をとおして、社会の中の驚異の場面をいくつも見てきました。その中での人々の営みや努力に参加し、また立ち会うことができたことは、私の人生の宝と思っています。そんな職業生活でしたが、平成26年に退職となりました。現在は無職です。
 ボランティア活動については、学生の時、また在職中にも始め、現在においても続けているものがいくつかあります。それらを始めたきっかけや理由を整理し、今いだいている考えをまとめたいと思います。
 文章の中で登場する事例は、私の経験を基にした創作であることをお断りしておきます。

 私のボランティア活動の遍歴
 私のボランティア活動は、私が少年の時から参加していたボーイスカウトの奉仕活動としての日常的な体験があり、普通に生活の一部でした。大学に進んでから、私が好んで関わった活動は、障害者の運動会や障害者招待ツアー等のイベントのお手伝いボランティアでした。そのような企画があることを知ると、「手伝わせていただけませんでしょうか」と、飛び込んだものでした。社会人になってからは、運転ボランティアも始めました。これらは、日ごろ外に出ることが制限される障害者を屋外に誘い出したい、楽しい時間を過ごしてもらうお手伝いをしたいという思いから始めたものでした。
 かつては、障害者を招待するという感覚のものが常だったのですが、今日では、障害者の方から手伝ってと言われるものが増えています。いや、一緒にやろうよと、私の方が招待されているのかもしれませんね。

 ふれあいハイキング
 このような活動のスタイルに変わったきっかけになったのが、今から十数年前のAさんとの出会いでした。
 Aさんは、当時五十代後半の男性でした。学生時代はワンゲル部でならし、卒業後は大企業に入社という経歴を持つ人です。しかし三十歳を過ぎて心の病を発症、その後は入退院を繰り返しました。職場復帰や出直し就労に向けた様々な取り組みを試みましたが、結果的には断念、挫折体験の傷を心に残して、病院に併設のデイケアを利用しながら日々を送っていました。
 Aさんは、山登りがとても好きなのですが、発病後は途絶えました。回復してからは、Aさんと同じように山登りが好きな兄に連れ添ってもらって登ったこともありましたが、単独の登山はとてもできず、現状に甘んじていました。
 Aさんは、夜明け前に目覚めてしまうこともあり、早朝から家の近くを散歩することが日課になっていました。でも、一人だけの散歩では寂しいので、デイケア等で知り合った人を誘うようになっていきました。これが高じて、散歩の会と銘打って定例の行事のようになっていきました。Aさんは自分で案内状を作成して呼びかけるようになりました。月に一、二回程度の頻度で会を重ね、既に数十回の実績になっていました。街角をぶらぶら歩くという程度のものですが、意気が合えばその後喫茶店で反省会ならぬおしゃべりを楽しむというスタイルが定着していきました。これの継続が、家から一歩出なかった人を引き出すことにもなり、家族会からも称賛される存在になっていきました。
 このような実績と、Aさんの山登りをしたいという声が取り上げられ、家族会と作業所職員有志の取り組みとして、日帰りの登山イベントが計画されました。当事者は七人、家族会などからは八人の参加でした。隣の県の高さ約千メートルの山に登りました。
 これに気をよくしたAさんは、今度は自分たちだけで登山をしたいと思うようになりました。半年後、意気に乗じて、案内状を作り上げました。みんなに呼びかけました。前回の登山に参加した当事者たちが応じてくれました。
 4月末のある日、それは実施されました。当日参加した当事者は五人。うち前回の登山の参加者は四人。三十代から五十代の人々で、女性は一人でした。サポーターとして、定年退職を迎えたAさんのお兄さんとその知人、それに私がついていきました。
 案内状には記してあったのですが、弁当を持ってこなかった人、雨具を持ってこなかった人がおられました。ひやひやしたところもありましたが、臨機応変に対処しました。電車の切符は各自で買いました。総勢八人。今回は前回とは別の高さ約千メートルの山に日帰り登山です。
 Aさんのお兄さんを先頭に、通常の1.5倍時間をかけた、ゆっくりペースで登っていきました。頂上に近づくと、残雪が見え、福寿草の花にもめぐり会えました。何の問題もなく登りきってしまいました。
 下山は、思った以上のハイペースになりました。油断がありました。唯一の参加女性でしたが、ペースが速すぎて苦しい、ということをまわりの人に訴えませんでした。ふもと間近のところで膝の力が抜けてしまい、歩けなくなってしまいました。急きょ布でたすきをこしらえ、サポーターの私ともう一人で女性の脇を両側からかかえ、何とか無事に下山させることができました。
 そのようにして一日が終わりました。思い描いていたことが実現してAさんは満足。味を知ったらやめられない。Aさんは、早速次の登山の構想を打ち出し始めました。
 これがきっかけになり、それ以後、ハイキングが、Aさんとその仲良しグループの障害者の人たちの定例の催しになりました。Aさんのお兄さんと私は、継続してサポーターを続けることにしました。
 このような形で始まった日帰りハイキングを、ほぼ月に一回のペースで、平成18年から続けています。その後Aさんは体調を崩し、参加できなくなってしまいました。でも、ほかの仲間や参加経験者が引き継ぎ、心の病で引きこもりがちの人に新たに呼び掛け、誘い出してくれています。参加するメンバーは変わりつつも、なおハイキングは続いています。雨が降った場合等は中止になりますが、これまでに百回を超える実施となりました。いつごろからか、このハイキングを、「ふれあいハイキング」と呼ぶようになっていました。
 もよりの駅を集合・出発地とし、基本的に公共交通機関を利用し、障害者割引制度等も活用し、一回二千円程度で行けるところを選んでいます。平地を歩くもの、初心者向け、ちょっと高度なものいろいろを織り交ぜて計画しています。近辺の丘や山を主に、時には隣の県にある一千メートル級の山々などに挑戦しています。家族一緒に参加される方もおられます。
 これへの参加がきっかけで、親しい友達ができたり、日ごろの外出や就労の意欲を身に付けていった人もおられます。

 ピアグループ支援ボランティア
 ここで紹介したAさんのグループのように、自分達で仲間を募り、その活動によって自分達の世界を拡げていく営みを、私たちはピアグループと呼んでいます。実際、一昔前に比べると、障害者がグループで、ショッピングの場やレジャーの場に出てきて楽しんでおられる姿を見ることが多くなりました。
 一人だけでは心もとないので、ほかの人を誘って一緒にする。一緒にやるから、一人だけではできなかったことができた。こうしてそのような人たちが、家に引きこもってしまっている人々を屋外に誘い、障害者の豊かな生活づくりに寄与しています。
 精神障害者と言われる人々は、生活の経験をある程度積んだ青年期以後に発病することが多いので、過去の記憶から、またプライドも手伝って、できるはずだと自信を訴えることが多いです。でも、できるはずだと思ってやり始めたが、結局はできなかった。遊ぶことすらできなくなってしまっていた。この挫折体験が、多くの障害者の心を萎縮させてしまっています。
 ピアグループでも同じです。集団の力によって、一人のときよりも数倍とも思われるほどのパワーは出るのですが、そこにはやはり限界があります。ピアグループで取り組んで、それに失敗するということは、これもまた挫折体験として人々の心に傷を残してしまいます。そのようなピアグループの営みを理解し、それを支えるほんの少しのお手伝いができればと心がけているのが、ピアグループ支援ボランティア(セルフヘルプグループ活動支援ボランティア)です。
 このようにして、今回紹介したハイキングのほか、障害者グループのレジャーの付き添いを依頼されたり、障害者の自助団体が企画・実施するイベントの実行委員に加わらせてもらうなど、いろいろな関わりが続いております。

 在宅障害者の実態
 次のことは、一般の方々には信じられない実態かもしれません。
 在宅の障害者(入院・入所していない人)であっても、就労していない人、福祉のサービスを利用していない人、そのような人は統計の数字に載ることもなく、私たちの認識に上らない人々です。その方々は、どこにおられるのでしょうか。
 その多くは、家族等の庇護のもとで、それぞれの住まいに潜んでおられるのが実態と思われます。
 では、そのような方々は、どれほどおられるのでしょうか。私たちは推測するしかありません。専業主婦や退職高齢者の実態がわからないというのと同じです。でも、障害者数(手帳の所持者数や障害年金受給者数、患者数等)をもとに、そこから就労者数(障害者雇用促進法による被雇用者数や福祉的就労者数等)、入院者数、障害福祉サービスの受給者数、失業者数等を差し引けば、おおよその状況を推測することができます。それぞれの統計数字からの引き算で割り出せば、この日本に、実に多くのそのような方々がおられることに気付くことになります。「障害者白書」等の国が公表している各種統計や報告書類が参考になると思います。

 保健所での勤務から
 二十五年ほど前のことになります。私がかつて保健所に勤務していた時に行っていた電話相談や家庭訪問活動をとおして、家の中で密かに生活している障害者の方々が多くおられることを知りました。
 保健所職員としての家庭訪問活動をとおして、街中の、一般住居と思われるうちのかなりの割合で、日中であっても、住まいに潜んで生活しておられる方々 ― 高齢者の方でそのような生活になってしまっている人が多いことも知ったのですが ― 障害者の方、それが若い人であっても、住まいの一室からほとんど出ることなく日々を過ごしている人々が想像以上に多い、そのような実態を知ることになりました。
 そのような方々から、保健所に相談電話がかかってくることもあります。本心は寂しさの訴えだったのでしょう。
 私は、保健所の業務として、そのような方々の社会復帰または社会参加の支援と銘打って、保健所の社会復帰教室(レクリエーションや料理教室等)の事業、また市町村や民間各種団体が手掛けるイベントやサロン等の取り組みを案内し、誘う活動をしてきました。
 でも、家族の人が本人に外出を勧めても出られない、手を変え品を変え誘ってもどうしても家から一歩出られない、そのような人が何と多いかということを目にすることになりました。自分が障害者であることの負い目から、また引きこもりの生活を長く続けたことにより、人との交わりを避け、社会への関心が薄れ、人間らしい生活をしたいという意欲や希望も失ってしまった、そのような方々が街中に多くおられることを知りました。
 誘っても、家から出てくれない。でもこれは、自分の意志で家を出ないのだから、これ以上勧めるのはおせっかいではないか ― この葛藤は、私をとても悩ませました。

 家庭訪問活動での試み
 連れ出すことができなければ、こちらから出張してそれを届ければよいではないか、と発想を転換することにしました。でも、引きこもっている人に不用意に話しかけても、継続した、また安定した人間関係などできるものではありません。家庭訪問をしても追い返されることが常でした。しかし、ある男性の場合は、その人の部屋に置いてあった本に対する自分なりの論評がきっかけでした。ある女性の場合は、持っていったトランプで遊んだことでした。「また来て」と言われるようになりました。そのようにして、家に潜んでおられる障害者の方々と、トランプや双六、将棋等の室内ゲーム、折り紙や手芸用品、本、スポーツ用品等を持ち込んでは関係作りを図りました。おしゃべりを皮切りに、部屋の中で一緒に遊び、本の読み聞かせ、時勢の議論等をし、更には一緒にお部屋の掃除、一緒に散歩、公園でバドミントンやキャッチボールをしたりして徐々に人間関係を深くし、それに併せてその人の生活の範囲を拡げていくように努めました。
 並行して、ご家族との関係作りにも努めました。心の病の場合、多くの親御さんは、自分の子どもを障害者と認めたがりません。そのために親は子の生活態度等を責め、親子関係が厳しくなってしまうということが、しばしば見られます。その間に入り、適正な情報を伝え、障害年金ほか各種のサービス利用を促す活動を進めました。障害を持つ人と暮らす家族の方々の負担や苦しみは、障害者ご本人のそれよりも大きいというのが私の実感です。
 Bさんの例を紹介しましょう。
 Bさんは当時三十代の男性でした。両親を亡くされたとのことで保健所に相談があり、私との関わりが始まりました。生活保護を受けながらアパートでの一人暮らしでした。若い時に心の病を発症し、入院の経験はありましたが、後に症状は軽減し、在宅生活を送っておられます。しかし就労の経験はありません。また、食生活の問題から、体重が90キログラム以上になり、外出が苦痛でした。居室は、万年床が中央にあり、家財や衣服等が山のようになってそれを囲み、一面ほこりがかぶっていました。保健所での事業に出てこられないため、定期的な家庭訪問という形で支援を進めました。先に記したような経過を経て、やがて保健所に来てくれるようになりました。そのように、少しずつ生活の世界を拡げていく支援を続けました。
 このような形で、地域で住まいに潜んでいる障害者に関わっては、訪問活動を繰り返し、人間関係を築き、支援活動を進めていきました。ゆっくりではありましたが、地域の諸活動に参加してくれる人が現れるようになっていきました。

 新しい障害福祉サービスを拓く
 以上に記したようなプロセスは、まだ人々の広い認知には至っていません。しかし私は、これは障害者の社会参加を進める上での大きなニーズであると確信しています。これを障害福祉サービスの一メニューとして確立させることができたら、なんと素晴らしいことではないでしょうか。
 現行の障害者総合支援法または介護保険法のもとのホームヘルプサービスは、家事援助や身体介護を趣旨とするものであり、このような動き方は想定していないとのことです。
 でも、訪問看護ステーションやACT等のアウトリーチ型事業の中で、何とか展開できそうな感じがします。
 退職後の私の第二の人生の新しい仕事として、訪問看護ステーション等を立ち上げて、このサービスを、展開する手立てはないかと考えました。もし自分に看護師とか作業療法士等の資格があれば、訪問看護ステーションを業として始めることができます。しかし私が今持っている資格ではそれがなりません。現時点では、困難な企てなのでしょうか。
 そうであれば、無償サービスとして始めてしまえ、という意気込みで、ボランティア活動としてやり始めることにしました。
 今はその活動を、ボランティアとして細々と続けています。(2018.11.10)




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