ひとりごとのつまったかみぶくろ


職業援助者として



 私は、社会福祉の分野で、職業として、困っていることの解消を期待して相談を求めてくる人に対する援助を行っているものです。この職業を通して、給料を受け取り、生活の糧としているわけです。当然、勤務時間というものが設定されています。勤務終了後は、一人の家庭人として、父親として振る舞わなければなりません。しかし、仕事の上で係わる相談者の中には、勤務時間外においても接触を希望される人、私が提示したサービスとは異なった係わりを求める人など、様々な方がおられます。これは、職業として従事している援助者が準備しているサービスと、援助を求める相談者のニーズとに、ずれがあるゆえに、生じてしまうことといえるものです。このことは、この分野に勤める多くの人々が、気にし、悩んでいることだと思います。割り切ることは簡単ですが、ここでの対処の判断ミスが、その後の援助の行方にも影響してしまうであろうというジレンマに、戸惑ってしまいます。

 一日の勤務における業務には、相談者(サービス利用者)との対面の場面を設けて行う営みのほか、その記録、移動、その他事務諸々など、実に様々なことがあるのですが、それらを勤務時間という限られた時間内に能率的にこなしていかなければなりません。これに失敗すると、残業や休日勤務ということになってしまいます。様々なニーズを抱えた相談者に、時間を追って順次接していくことになります。向こうから訪れてくる人ばかりとは限りません。こちらから仕掛けなければならない場合や、援助を拒否している人へのアプローチ、事態を判断して介入、ということもあります。

 相談者の涙しての訴えを聞いている最中に、電話がかかってきて、別の人からの苦情を聞く、そんな芸当をこなさなければならないこともあります。このような現場で従事する職業援助者に求められる資質は、あなたは、どうあるべきと思いますか。

 ボランティア活動としてお手伝いをする場合の心構えと、街中のおじさんとして困っている人に出会った場合の心構え、そして仕事として相談者に応対する場合の心構えは、私の場合は、全部違います。どのように違うかというと、前二者は生活者としての、後一者はプロとしての心構えです。では、プロとしての心構えとは何か。このようなことを考えてみたいという思いでつづったのが今回の文章です。

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 ある心理カウンセラーの人と話をした時、その人は、相談者と面接しているときはすべて演技をしていると話されたことがあります。よい人に出会うことを期待して相談に来られた人がもし聞いたらショックを覚えられそうですが、私自身、その人が言われたとおり、演技しているところがあります。舞台の上に立った役者がそうするように、その場面、その場面に応じた表情を作り、記憶しているセリフを話し、その場に相応したアドリブをまとめあげ、相談者に返す。そしてその人が帰られた後は、すぐに次の舞台の出演に備える、といった具合です。

 20年以上も相談援助業務を続けていると、一応、エキスパートと呼ばれ、少なくとも、駆け出しさんよりはまともな対応ができるようになったかなと思えるようになりました。自分の経験、失敗や成功の体験を振り返り、その要素を突き詰めていくと、結局のところ、バイスティック(バイステック)の7原則にほぼ帰結する、というのが私の感触です。

 バイスティックというと、アメリカ人で、カトリックの神学を通して社会福祉実践の礎を築き上げた人と捉えているわけですが、この人が唱えた七つの原則については、社会福祉分野の多くの人が学んでいることと思います。この原則の習熟は、私の経験からいって、やはり必須のことと感じています。

 バイスティックの七原則というと、@個別化、A意図的な感情表現、B統制された情緒的関与、C受容、D非審判的態度、Eクライエントの自己決定、F秘密保持、ということですね。でもこれだけでは、何を言っているのかイメージが描きにくいですね。試験勉強ならともかく、これの語句の暗記だけでは、何の役にも立たないですね。

 以下、これを私なりにまとめてみましたが、その七原則を正確に説明しているかどうかは、正直言って自信がありません。ですから、私自身はこのように解釈して、自分なりに業務の礎にしていると言った方が当たっていると思います。

 では、自分なりの七原則の解釈を順に記したいと思います。

 @個別化…相談者(サービスの利用者)は、それぞれがかけがえのない一人の人間であり、決して、多くの被援助者の中の一人、または分類されたこのタイプの一人というような捉え方はすべきではないということです。人は、誰であっても、重なることのない人生を送っているわけであり、その人生の主人公であるその人を、その人のステージに上げていただいた脇役の一人としてお手伝いさせていただくという気持ちで接するということでしょうか。

 A意図的な感情表現…「泣きたかったら泣いてもいいよ」等と、相談者がその時の感情にゆだねて、感情を表出することを保障することです。それが自分に対する敵意であっても、憎しみであっても、制止することなく聞き、受け止めます。視線の位置やあくび、明らかな嘘、そっけない返事、その他諸々、これらも相談者の感情表現と理解します。
 そして、この人は、このタイミングで、なぜ泣いたのか、なぜ怒り出したのか、考えます。つまり、人間の行動や言葉、態度等には、すべてに意味があるという意識で相談者に接します。援助者は、相談者が示す感情表現にどんな意味や意図が含まれているのかを読み取る力または想像力が求められます。自分の応対がそうさせたのかもしれません。言葉で表現できなかったことを感情で表したのかもしれません。その人の生活や生育における背景を推理する手立てにもなります。面接場面に限らず、それ以外の場面での感情表現からも読み取れます。

 B統制された情緒的関与…相談者が泣いて訴えている時、援助者がむっつり顔で聞くというのはまずいです。相談者には、相手にはこんな反応を示してもらいたいという期待があることを読み取って、援助者もそれに相応した表情と感情を作って応答してあげることが大切です。援助者である自分にも感情があり、その時々の気分もありますが、それが面接の場面に出てしまうことは不適切です。援助者には、自分の感情をコントロールできる力が求められているわけです。私自身、日常生活の場での表情や言葉遣いと、仕事の時、面接時の表情や言葉遣い、それぞれ意識して使い分けています。TPOに合わせて、いくつかの顔を使い分けられる技量が大切と思っています。
 そんな顔の使い分けについて、ある種の精神疾患を有している人が相談者である場合は、通常の場合とは異なった対応または配慮が求められます。これについて述べるのは別の機会にしましょう。

 C受容…相談者にとって、目の前にいるこの援助者は、敵ではない、自分のことをわかってくれている味方だと思ってもらえる雰囲気作りが肝要です。そして、本当に味方になってあげなければなりません。
 たとえその人が、非行を起こした子であっても、虐待をしでかしてしまった親であったとしても、味方になってあげなければなりません。この問題に対応する児童相談所等では、現実の機構や機関のシステムから、これが難しいと思われがちですが、例えば、複数の関与者を設け、一人をその人の非を指摘する役(悪役)、もう一人をその人を受容する役(善役)として仕立てるなどして、この受容の機能を醸し出す工夫が大切と思います。

 D非審判的態度…相談者が話す内容の論理展開が、たとえ支離滅裂であっても、常識はずれであっても、明らかな嘘と感じても、その話が終わるまでは論評を加えず、聞いてあげることです。またその人のその場での態度や日ごろの行いなどが不愉快に感じるものであっても、面接の場では、援助者の側からは口に出しません。援助者の自分の価値観や善悪の判断で、評価や論評してはいけません。
 精神疾患を有している人が相談者である場合については、一定の精神医学の知識を習得の上、この原則を堅持しつつ、上手に応対することが求められます。ある種の発達障害を有している人と接しているとしばしば経験することですが、その人の様相を見ていると、一般常識の感覚では、何て行儀の悪い人だとか、援助者を馬鹿にしていると思い込んでしまいそうですが、決してそうではないということを知っていなければなりません。

 Eクライエントの自己決定…援助者の側から、困りごとなどの問題を解消するアイデアやいくつかの選択肢を示すことはありますが、そのどれを選ぶか、またどれも選ばないとしても、相談者本人の納得のもとでの決定に委ねるべきです。これしか方法はないと思うことが拒絶されても、更に(この場で更に強いて)説得することは避けるべきと思います。
 援助者に任せますと表明されることもよくありますが、これも自己決定でしょう。その場合は、十分に説明を加えながら、導いていきます。…いや、任せられることを拒否することもありますね。

 F秘密保持…相談者は、私に相談しているわけであり、私が聞いたことは私にとどめ、絶対に他言しないことを表明し、その約束は絶対に守るという態度を堅持することが大切です。しかし、私は、組織の中で、業務として相談サービスを行っている立場の者であり、上司への報告、記録の記載、同僚との相談、事例検討による検証などはどうしても必要なことです。機関の中の一担当者である私に相談されることは、内容がそのような経過を経て、機関内の他者に伝わるということを、事前に承知しておいてもらうプロセスが不可欠です。中には、そのことの拒否を表明される人がおられますが、そのような雰囲気が察せられた場合は、それ以上の相談を丁重に断ることにしています。

 どうですか。あなたの理解や考え方と、一致していますでしょうか。

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 秘密保持の態度について、少し付け加えます。

 他機関や機関外部に相談内容が伝わるということはあってはなりません。たとえ守秘義務を持ったもの同士でも、個人情報保護の観点からいって、今日では原則、常識になっています。でも、福祉カルテをはじめ、援助情報の多機関における共有という流れもあるわけです。この場合は、そのようなシステムであることを相談の過程で説明し、かつ同意を得た上で行うとすべきです。

 援助で経験した個別の係わりの過程を、公の場で、事例紹介として発表することがあります。このことについて、これまで様々な判断基準を耳にしましたが、あなたはどのように考えておられるでしょうか。専門家集団における研鑽の場で、個別の経験を出し合ってレビューすることは、自分自身の行いの検証や、援助技術の発展という意味からいっても、とても大切なことと思っています。私の場合は、背景をできる限り覆面にして、複数の事例経験をアレンジして、あたかもひとつの事例の経過のように調製して、架空のハプニングも付け加えて、ひとつの物語として再構成するという手法を採ることが多いです。でも、この方法についても、不適切だという意見に接することがあり、実際のところは悩んでいるところです。

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 私たちのように、公的機関の中で、援助をサービスとして行っている者が行う援助はどうあるべきか、よく問われるところです。現時点において、私が描いている援助とは、次のようなものです。

 援助とは、相談者が、援助者に、相談者が抱えている問題(困り事とか、苦痛、自力では対応困難な希望など)の解決に向けての協力を要請したときに開始される、契約としての営みである。その問題解決に向けて、相談者と援助者との共同作業という形態をとる。援助者は、おせっかいはもとより、その問題解決の代行や、問題解決手段の伝授、または指示をするということは、避けられるものであれば極力避けるように努めるべきである。総じていえば、相談者のその問題に対する対処能力(コーピング)を育てる営みである。要するに、この援助をとおして、援助者が去ったのちに、この相談者に再度、同様または類似の問題が生じたとき、自分で問題解決できる、または問題になってしまうことを未然に回避できる人に成長してもらうことを期するわけである。

 このように規定したとして、私がよく用いる手法は、デブリーフィング(相談者に経過を言葉で報告してもらうという形態をとる面接)です。これは、PTSDの治療過程で用いられる治療法のひとつと捉えられているものですが、私の経験からいえば、通常の、特に家族に対する援助を目的とした面接において、意外と効果があるように感じています。


 とりあえず、今回は、これまでにしましょう。読んでくださり、ありがとうございました。(2006.5.5)


 ※ 例えば、「ケースワークの原則 -よりよき援助を与えるために-」(フェリックス・P・バイステック 著、田代不二男・村越芳男 訳、誠信書房 1965 発行 〔 THE CASEWORK RELATIONSHIP By FELIX P. BIESTEK 1957 〕)



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