ひとりごとのつまったかみぶくろ



災害ボランティア支援センター



 2004年 9月29日、日本に上陸した台風21号は、三重県を中心に数々の災害をもたらしました。

 三重県宮川村(現在は合併して大台町に)は、清流宮川に沿って、幅約10q、長さ約40qの範囲を持つ、当時県下で最も広い面積の、人口約 4,000、世帯数約 1,500の、山の中の自治体でした。

 そこを襲った台風21号は、豪雨をもたらし、山を崩し、村民の死者行方不明者7名を出す惨事となりました。全村下に避難勧告が敷かれました。

 この宮川村において、災害ボランティア受け入れ体制を整えるボランティア支援センターの設立のお手伝いを経験しました。その時の状況を報告します。

 台風21号禍の報道は、全国からボランティア流入を招き、被災地各地ではボランティア支援センターが設立されました。宮川村の南の海岸沿いにある海山町では、浸水被害が生じ、早期に支援センターが設立されたこともあり、連日 500名程のボランティアを受け入れました。

 宮川村は、全村下に避難勧告が敷かれ、道路の不通箇所もいくつか生じたので、村外からのボランティアの受け入れは不適当なのですが、自村内でのボランティア希望のニーズがありましたので、その支援を行うということです。

 私は災害ボランティアコーディネーターの団体に所属しています。同じ団体のメンバーで先に現地入りしていた人から、宮川村でボランティア支援センターを立ち上げるお手伝いが求められているという情報が伝えられました。私は、10月2日の土曜日、現地に赴くことにしました。団体のメンバーで現地入りしたのは、私、その人を含め、総勢3人でした。

 場所は村営の集会場のひとつで、村の社会福祉協議会のスタッフのもとで、コーディネーター活動のこれまでの経験から学んだノウハウを伝えながら、センターの機能を立ち上げていきました。

 現地では、ボランティア支援センター立ち上げ話よりも前から、村の主婦らが自発的に、役場等に参集し、炊き出しなどに従事していました。

 本格的にセンターが稼動し始めたのは、3日の日曜日からです。村内の人々が主でしたが、県外からのボランティア希望者もやってこられました。午前9時に受付開始。受付後、一旦集会室で待機を願い、一定の人が集まったところで、要請のあった各地に移動していただきました。要請の内容としては、村営浴場が泥で埋まってしまったのでその片付けと清掃、復旧作業に従事されておられる人のための炊き出しの手伝いなど、数件ありました。受付開始から一時間ほどで30人弱の方が来られたのですが、その方々を送り出した後は、ほとんど来られる人もなく、コーディネーターとしての仕事はほぼなくなっていました。

 そんな時、ホームヘルパーから伝えられたとして、村の社会福祉協議会を通して、次のような情報がもたらされました。一人暮らしのおばあちゃんが、給水場所まで水を取りに行けなくて困っていたと。

 今回の台風禍は、大規模な土砂崩れを引き起こし、そのため村の浄水場が破損し、全村が断水になってしまいました。役場は即座に給水車を仕立て、村内各地で給水拠点を設置、村民は、容器を持ってそこで水を受け取るということになっていました。

 なるほど、村内各地には、身体が不自由のため、水を受け取れずに困っている人がほかにもいるに違いないと考え、安否確認を兼ねた水の配給が必要ということになりました。

 ただちに2リットルの水入りペットボトルが確保され、併せて炊き出しなどを手伝っていた主婦の方々にこのことを伝えました。そうして協力いただける主婦の方々に集まっていただきました。

 男性のボランティアと地元主婦との二人でペアを組み、地域を区分して回ることになりました。私も実動隊に加わりました。持参したリュックサックに入るだけペットボトルを詰め込み、出発しました。各世帯の一軒一軒、扉を叩いていったわけですが、地元の人と一緒ということで、突然の訪問にも好意的に受け入れられ、着々と安否確認は進んでいきました。地域内の土砂崩れ等の状態や人々の困難状況を把握することにも役立ちました。私たちが担当した区域では、身体が不自由という人も若干おられましたが、そこは近所の人が給水場所に行ってもらってきた水を分けてもらったとのことで、特に困っているという人には出会いませんでした。しかし、身体には問題ないが、水を入れる容器がなく、小さな鍋しかないという世帯があり、困っておられる人がおられました。そのような人のところに、ペットボトルを置いてきました。併せて、集会所にボランティア支援センターを開設したことを広報し、お手伝いの余力のある人にボランティア参加を案内しました。

 これを手伝って感じたことは、結構、町内会の組織がしっかりしていて、隣近所で助け合っている姿を見取ることができました。この点、都市部とは違うなという感想を持ちました。

 私は仕事の都合で、日曜日のうちに現地を離れたのですが、その後のセンターの経過を聞くに、いろいろな課題があることに気づかされました。

 まず、ボランティア支援センターを立ち上げたことの是非です。当時、全村に避難勧告が敷かれていた状況下で、ボランティアを呼び入れることの妥当性が問われました。ボランティア希望者にボランティア保険の加入を求めているわけですが、そもそも危険が残っているがゆえに避難勧告が敷かれている地域に、ボランティアといういわゆる一般市民を入村させることは不適切だという指摘があったわけです。

 また、最初に現地入りした団体のメンバーは、災害ボランティアについて、阪神淡路大震災以来、多くの経験を積んでいる人でした。センター立ち上げにあたって、いくつかのノウハウを村に提供したわけですが、流れとして、その人が村の行政を牽引するという役割も演じてしまいました。「外の人間がしゃしゃり出て」という感情を生じさせてしまったところがありました。

 ボランティア支援センターとしては、その後2週間程で閉鎖になりました。その後は、地元住民が自分たちで村を立ち直らせていくんだという組織、地域助け合いセンターに改められました。

 宮川村では、貴重な経験をさせていただきました。本当にありがとうございました。(2006.4.29)

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